東京都大田區羽田五丁目より辯天橋を羽田空港方面に渡る時、右手の廣場にポツンと建つ朱塗りの大鳥居がいつも氣になってゐたので、今日こそよく見んと訪ねたり。

多摩川河口の羽田が漁師町だった江戸時代、水害除けとして創建された穴守稲荷神社の鳥居だったもので昭和四年に建立、

(※戰前の穴守稲荷神社)
戰後間もない昭和二十年(1945年)九月二十九日、羽田空港擴張を計画した進駐米軍により付近一帯の三町が四十八時間以内の強制退去に遭った際、

(※往年の羽田界隈)
穴守稲荷神社も対象地域であったため立ち退きを余儀なくされたが、鳥居だけは“オトナの事情”により現地に殘され、ながらく空港駐車場内となった跡地に鎮座して人々の尊崇を集めてゐたが、昭和末の空港擴張計画により今度こそ撤去と決まったものの、元地域住民たちの強い要望により、平成十一年(1999年)に現在の場所に移転し、平和祈念の象徴として、現在に至る。

神佛の御社は俗世に在る宿命として、その時代のニンゲンの思惑で苦難を強いられるものだが、この大鳥居もその典型と云へる。

(※大鳥居そばの海老取川河口に建つ五十間鼻無縁佛堂)
現在地に移転の際、扁額が『平和』と架け替へられた如く、大鳥居の管理は穴守稲荷神社ではなく、國土交通省云々。
大鳥居のそばには、土地を奪はれた旧怨の滲んだ歴史案内板があり、

いくぶん割り引いて讀む必要があるが、平和祈念の象徴には大賛成なれば、

私も鈴緒を振って天下泰平を祈る。