一里塚を過ぎると、やがてJR宇都宮線の線路に沿って道は続き(上段写真)、約1㎞行ったところで北西方向へそれて、羽川小学校の前で国道4号線に合流。
そのすぐ先が、かつての新田宿。
↑写真左手の黒ずんだ門が旧本陣の表門で、その奥の邸宅には、現在も子孫の方が住んでおられます。
旧本陣から200㍍行ったところで旧道は国道から東へ離れて進みますが、その分岐点から数百メートルの区間は現在、住宅と畑と金属加工工場が続いており、完全に消滅。
現存しているのは工場敷地の北側から先で、住宅地のなかの遊歩道として、綺麗に整備されています。
私が探訪した日はこの先300㍍で整備工事の最中のために通行止め、さらに300㍍先の下野市との境界線まで国道4号線を迂回し、そこから再び旧道に入ります。
そのすぐ先が、かつての新田宿。
↑写真左手の黒ずんだ門が旧本陣の表門で、その奥の邸宅には、現在も子孫の方が住んでおられます。
旧本陣から200㍍行ったところで旧道は国道から東へ離れて進みますが、その分岐点から数百メートルの区間は現在、住宅と畑と金属加工工場が続いており、完全に消滅。
現存しているのは工場敷地の北側から先で、住宅地のなかの遊歩道として、綺麗に整備されています。
私が探訪した日はこの先300㍍で整備工事の最中のために通行止め、さらに300㍍先の下野市との境界線まで国道4号線を迂回し、そこから再び旧道に入ります。