迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ご本尊はそれぞれの心にあるのじゃ。

2019-01-05 22:25:54 | 浮世見聞記
川崎大師平間寺に行く時間がつくれたので、「御縁があった」と出掛ける。


良いことがあったから、「おめでとうございます」ばかりでなく、

何事もなかったから──つまり無事だったから──、「おめでとうございます」でもある、

と云ふ話しに、深く共感する。


身の上に恙無ひ事こそが、

いちばんの慶事であることは、昨年一年を振り返り、みずからも実感したことである。


やがて始まる僧たちの読経、

小刻みに打ち込む大太鼓、

高く響く鈴(りん)の聲、

そして赤ちゃんの元気に泣く聲──


渾然一体となった音楽に我が身を置ひて、

自分も神仏を畏れる衆庶のひとりであることを知る。



ただし私は宗教屋などでは無いので、特定の何かだけを偏狭的に拝む真似はしない。

自分の気持ちに沿ふものに対し、素直に頭(かうべ)を垂れるものである。


自分たちに都合のよいものならなんでも取り入れて、自分たちの文化に創りあげていく──


間違ひなく私は、

古へから続くニッポン人だ。

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