
川崎大師平間寺に行く時間がつくれたので、「御縁があった」と出掛ける。
良いことがあったから、「おめでとうございます」ばかりでなく、
何事もなかったから──つまり無事だったから──、「おめでとうございます」でもある、
と云ふ話しに、深く共感する。
身の上に恙無ひ事こそが、
いちばんの慶事であることは、昨年一年を振り返り、みずからも実感したことである。
やがて始まる僧たちの読経、
小刻みに打ち込む大太鼓、
高く響く鈴(りん)の聲、
そして赤ちゃんの元気に泣く聲──
渾然一体となった音楽に我が身を置ひて、
自分も神仏を畏れる衆庶のひとりであることを知る。
ただし私は宗教屋などでは無いので、特定の何かだけを偏狭的に拝む真似はしない。
自分の気持ちに沿ふものに対し、素直に頭(かうべ)を垂れるものである。
自分たちに都合のよいものならなんでも取り入れて、自分たちの文化に創りあげていく──
間違ひなく私は、
古へから続くニッポン人だ。
良いことがあったから、「おめでとうございます」ばかりでなく、
何事もなかったから──つまり無事だったから──、「おめでとうございます」でもある、
と云ふ話しに、深く共感する。
身の上に恙無ひ事こそが、
いちばんの慶事であることは、昨年一年を振り返り、みずからも実感したことである。
やがて始まる僧たちの読経、
小刻みに打ち込む大太鼓、
高く響く鈴(りん)の聲、
そして赤ちゃんの元気に泣く聲──
渾然一体となった音楽に我が身を置ひて、
自分も神仏を畏れる衆庶のひとりであることを知る。
ただし私は宗教屋などでは無いので、特定の何かだけを偏狭的に拝む真似はしない。
自分の気持ちに沿ふものに対し、素直に頭(かうべ)を垂れるものである。
自分たちに都合のよいものならなんでも取り入れて、自分たちの文化に創りあげていく──
間違ひなく私は、
古へから続くニッポン人だ。