迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

けんとく。

2014-01-26 22:42:48 | 浮世見聞記
今年も国立能楽堂へ、プロのろう者俳優たちによる「手話狂言・初春の会」を観に行く。


現在では稀曲の類に入るという「折紙聟(おりかみむこ)」は、夫婦の繋がりも金次第と考える男の賎しい根性を、風刺した作品。

しかし、そんな人は男女問わず、現代でもいる。

お金というものは、あってもなくても、人の心を蝕んでいくものらしい。


―と、そんなもっともらしいことをすぐ口にしたがる者を皮肉ったようにもみえるのが、「蟹山伏(かにやまぶし)」。

人々から“生き不動”などとおだてられ、すっかりいい気になっていた山伏が、山中で突如あらわれた大蟹の精に行く手を阻まれ、自慢の法力も通用せず、たじたじとなる、十五分ほどの小品。

水中に棲むはずの蟹が、山中に精霊となって現れるのはおかしいと考えがちだが、思いがけない事態の発生を戯画化したものと捉えれば、赤頭に賢徳の面をかけ、親指と人差し指をピンと立ててハサミに見立て、両腕を交互に曲げ伸ばしする化け蟹の仕草の向こうに、なにか“深い”ものを読み取れるはず。


理屈とタテマエだけでそのことをわかった気になっている者ほど、いざ実践を求められる事柄に出くわすと、まるで歯が立たない―





手話という実践そのものの方法で、人間の心理を可笑しみを交えてえぐり出し、演じてみせてくれたろう者俳優たちに、今年も脱帽。
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