横浜の大佛次郎記念館で開催中の、『「鞍馬天狗」 誕生 90年』展を見る。
90年前、関東大震災によって外務省の職を失った野尻清彦青年が、生活のために手掛た時代小説から誕生した幕末剣士-それが、“鞍馬天狗”。
またの名を、倉田典膳。
わたしが初めて、宗十郎頭巾に黒紋付を着流したこの幕末剣士に会ったのは、大佛氏の小説ではなく、それを原作とした嵐寛寿郎(アラカン)の映画によってだ。
アラカンさんが生前、
「鞍馬天狗を生んだのは大佛氏だが、育てたのは自分だ」
と言っていたくらい、たしかに“鞍馬天狗”といえば、嵐寛寿郎のイメージが強い。
スクリーンで見せる華麗な剣捌きと紳士的な言葉遣いが、いつもわたしをゾクゾクさせる。
それに対して原作の“倉田さん”は、作者大佛次郎の気持ちの代弁者、といった一面も持っている。
そこが小説と映画との、大きな相違だろう。
その相違が、のちにアラカンさんが大佛氏によって、鞍馬天狗を演じることを封じられてしまう一因ともなるのだが…。
それはさておき、鞍馬天狗は江戸の名残を破壊した関東大震災が生んだ、江戸末期の英傑である。
その生みの親である大佛次郎氏は地震について、1959年(昭和34年)1月23日付の西日本新聞に寄せた「地震の話」で、こう述べている。
“日本にいる限り、いつでも地震があり得ることを忘れないようにした方がいいようである”
つい先頃も、「脱原発」をうたって政界へ担ぎ出されかけた清和源氏の末裔がいたが、大佛氏のこの一文は、目先の利益にすぐ惑わされる現代人への、鋭い警鐘にほかならない。
90年前、関東大震災によって外務省の職を失った野尻清彦青年が、生活のために手掛た時代小説から誕生した幕末剣士-それが、“鞍馬天狗”。
またの名を、倉田典膳。
わたしが初めて、宗十郎頭巾に黒紋付を着流したこの幕末剣士に会ったのは、大佛氏の小説ではなく、それを原作とした嵐寛寿郎(アラカン)の映画によってだ。
アラカンさんが生前、
「鞍馬天狗を生んだのは大佛氏だが、育てたのは自分だ」
と言っていたくらい、たしかに“鞍馬天狗”といえば、嵐寛寿郎のイメージが強い。
スクリーンで見せる華麗な剣捌きと紳士的な言葉遣いが、いつもわたしをゾクゾクさせる。
それに対して原作の“倉田さん”は、作者大佛次郎の気持ちの代弁者、といった一面も持っている。
そこが小説と映画との、大きな相違だろう。
その相違が、のちにアラカンさんが大佛氏によって、鞍馬天狗を演じることを封じられてしまう一因ともなるのだが…。
それはさておき、鞍馬天狗は江戸の名残を破壊した関東大震災が生んだ、江戸末期の英傑である。
その生みの親である大佛次郎氏は地震について、1959年(昭和34年)1月23日付の西日本新聞に寄せた「地震の話」で、こう述べている。
“日本にいる限り、いつでも地震があり得ることを忘れないようにした方がいいようである”
つい先頃も、「脱原発」をうたって政界へ担ぎ出されかけた清和源氏の末裔がいたが、大佛氏のこの一文は、目先の利益にすぐ惑わされる現代人への、鋭い警鐘にほかならない。