きのう拙ブログのコメンテーターChobimame.exblog.jpさんの勧めもあって
老妻と一緒に話題の「always続三丁目の夕日」を観に行った。映画の時代
設定は昭和34年、世は皇太子(現在の天皇)のご成婚にあやかった”ミッチ
ー”ブームに湧き、フラフープが全盛期であった。デパートの5階の映画
舘には当時を知っている同年輩の年寄りもいたが、若い人も多かった。
その頃、僕たち夫婦は結婚4年、一児が誕生、両親と共に木造平屋建ての
家に住んでいた。まだ昔ながらに玄関が広く、廊下もあって小さいながらも
床の間もついていた。しかし、都内の区部なのに下水道は整備されておらず、
炊事は外のかまどでしていた。
映画は東京タワーの見える小さな商店街の住人たちの心暖かい隣人愛
を描いていた。僕らの住宅街とはシチュエーションは違うが、当時の人々
の暖かい心の通いは同じだった。お隣どうし季節の贈物はしていた。ご成
婚のパレードの時、わが家ではまだテレビがなく、隣家でみせてもらった。
当時の勤労者所得は月2万5247円だったが、安サラーリマンの僕はそれ
以下だった。しかし、僕の記憶の中にはよく酒を飲み、子育てと家計をきり
もりしていた老妻を苦しめたことが残っている。そんなある夜、僕は酔った
勢いで上野のモツ焼き屋で知り合った若者三人を連れて帰宅した。集団就
職で上京した若者で、就職先の主人と折が合わず無断で店を飛び出してきた
連中だった。僕は同情して三人を家に泊めたが、それがよかったかどうか。
僕の「三丁目の夕日」はそんな時代であった。
老妻と一緒に話題の「always続三丁目の夕日」を観に行った。映画の時代
設定は昭和34年、世は皇太子(現在の天皇)のご成婚にあやかった”ミッチ
ー”ブームに湧き、フラフープが全盛期であった。デパートの5階の映画
舘には当時を知っている同年輩の年寄りもいたが、若い人も多かった。
その頃、僕たち夫婦は結婚4年、一児が誕生、両親と共に木造平屋建ての
家に住んでいた。まだ昔ながらに玄関が広く、廊下もあって小さいながらも
床の間もついていた。しかし、都内の区部なのに下水道は整備されておらず、
炊事は外のかまどでしていた。
映画は東京タワーの見える小さな商店街の住人たちの心暖かい隣人愛
を描いていた。僕らの住宅街とはシチュエーションは違うが、当時の人々
の暖かい心の通いは同じだった。お隣どうし季節の贈物はしていた。ご成
婚のパレードの時、わが家ではまだテレビがなく、隣家でみせてもらった。
当時の勤労者所得は月2万5247円だったが、安サラーリマンの僕はそれ
以下だった。しかし、僕の記憶の中にはよく酒を飲み、子育てと家計をきり
もりしていた老妻を苦しめたことが残っている。そんなある夜、僕は酔った
勢いで上野のモツ焼き屋で知り合った若者三人を連れて帰宅した。集団就
職で上京した若者で、就職先の主人と折が合わず無断で店を飛び出してきた
連中だった。僕は同情して三人を家に泊めたが、それがよかったかどうか。
僕の「三丁目の夕日」はそんな時代であった。