職人さんの腕の”巧み"を競う二つの国際大会がいま静岡県沼津市で開催されて
いる。一つは健常者の「ユニバーサル技能五輪国際大会」、もう一つは障害者に
よる「アビリンピック」だ。世界の60か国・地域から千人をこす若人が集まり技を
競っているが、いま一つスポーツ大会ほど注目されず,残念だ。
昭和30年代の日本を描いた映画「always三丁目の夕日」の頃、東京の町のあち
こちには映画の舞台になった自動車修理工場や小さな町工場があった。そして
腕のよい工員さんたちが大勢働いていた。昭和37年、わが国は初めてスペイン
で開かれた「技能五輪」大会に参加、金銀銅のメダルを独占するような快挙をあ
げた。東京五輪の前でもあり、新聞が大きく報じたことを覚えている。
「技能五輪」の日本での開催は、昭和60年の大阪大会以来、22年ぶりだが、この
間、わが国の社会構造などのの変化で、若者の”ものつくり”あるいは技能への
関心が冷めてしまったのか、お家芸の”腕の巧み”にも陰りが出てきた。ここ10数
年「技能五輪」の入賞者は、韓国などに奪われている。
昭和36年、当時の労働省は職業訓練指導員育成のための「職業訓練大学校」を
設立したが、今は「職業能力開発大学校」と名前を変えた。それでも入校志望者
が年々減り、卒業しても指導員になるのは僅か10%だという。
ちまたには、将来に希望を持てない若者があふれている。昭和30年代「技能五輪」
の活躍で、自信と夢をもった当時の若者は沢山いる。マスコミもスポーツなみに「技
能五輪」を大きく報道すべきである。
いる。一つは健常者の「ユニバーサル技能五輪国際大会」、もう一つは障害者に
よる「アビリンピック」だ。世界の60か国・地域から千人をこす若人が集まり技を
競っているが、いま一つスポーツ大会ほど注目されず,残念だ。
昭和30年代の日本を描いた映画「always三丁目の夕日」の頃、東京の町のあち
こちには映画の舞台になった自動車修理工場や小さな町工場があった。そして
腕のよい工員さんたちが大勢働いていた。昭和37年、わが国は初めてスペイン
で開かれた「技能五輪」大会に参加、金銀銅のメダルを独占するような快挙をあ
げた。東京五輪の前でもあり、新聞が大きく報じたことを覚えている。
「技能五輪」の日本での開催は、昭和60年の大阪大会以来、22年ぶりだが、この
間、わが国の社会構造などのの変化で、若者の”ものつくり”あるいは技能への
関心が冷めてしまったのか、お家芸の”腕の巧み”にも陰りが出てきた。ここ10数
年「技能五輪」の入賞者は、韓国などに奪われている。
昭和36年、当時の労働省は職業訓練指導員育成のための「職業訓練大学校」を
設立したが、今は「職業能力開発大学校」と名前を変えた。それでも入校志望者
が年々減り、卒業しても指導員になるのは僅か10%だという。
ちまたには、将来に希望を持てない若者があふれている。昭和30年代「技能五輪」
の活躍で、自信と夢をもった当時の若者は沢山いる。マスコミもスポーツなみに「技
能五輪」を大きく報道すべきである。