昨夕、近所の日蓮宗のお会式を見に行った。本山の池上本門寺に比べて1か
月遅れのお祭りである。昔、このあたりが村落だったころそのままに近隣在郷
の善男善女が、そろいの半纏で鉦と太鼓を叩き、万灯を引いて集まってくる。
駅前通りは交通規制されるほどの賑わいだ。光と音によるこの時期の風物詩
だが、昔と変わったものが一つある。気候である。
母がまだ健在だった頃、わが家では、お会式がくると炬燵を出すしきたりであった。
40年ほど前までは東京でも11月半ばになると、早ければ”木枯し一番”が吹き、街
路樹も散り始めたきた。ところが、年々歳々、地球温暖化の影響だろうか暖かくな
ってきている。とくに今年はここ、二、三日秋らしい気候が続いたこともあって、万灯
見物の観客にも厚着の人はいない。
けさ、早朝ラジオ体操に行ったが、会場の大學のキャンパス跡の銀杏並木もやっと
黄ばんできた。暗渠の上に植えられた桜並木も僅かに色づき散り始めてきた。環状
7号線(国道)から一本道を入った古民家の庭には柿がたわわに実っていた。
秋は確実に深まってきているのだがー。東京の紅葉は12月という予測だ。師走に
”紅葉狩り”というのもいま一つピンとこない。落葉の音とジングルベルの交響曲
では”ワビ”も”サビ”もない。
月遅れのお祭りである。昔、このあたりが村落だったころそのままに近隣在郷
の善男善女が、そろいの半纏で鉦と太鼓を叩き、万灯を引いて集まってくる。
駅前通りは交通規制されるほどの賑わいだ。光と音によるこの時期の風物詩
だが、昔と変わったものが一つある。気候である。
母がまだ健在だった頃、わが家では、お会式がくると炬燵を出すしきたりであった。
40年ほど前までは東京でも11月半ばになると、早ければ”木枯し一番”が吹き、街
路樹も散り始めたきた。ところが、年々歳々、地球温暖化の影響だろうか暖かくな
ってきている。とくに今年はここ、二、三日秋らしい気候が続いたこともあって、万灯
見物の観客にも厚着の人はいない。
けさ、早朝ラジオ体操に行ったが、会場の大學のキャンパス跡の銀杏並木もやっと
黄ばんできた。暗渠の上に植えられた桜並木も僅かに色づき散り始めてきた。環状
7号線(国道)から一本道を入った古民家の庭には柿がたわわに実っていた。
秋は確実に深まってきているのだがー。東京の紅葉は12月という予測だ。師走に
”紅葉狩り”というのもいま一つピンとこない。落葉の音とジングルベルの交響曲
では”ワビ”も”サビ”もない。