「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         曽野綾子と大江健三郎との間

2007-11-15 05:25:31 | Weblog
大阪地裁に提出されたノーベル賞作家、大江健三郎氏の陳述書の概要を新聞で
読み、改めて彼の戦争についての知識が雑駁であり、偏見があるのを知った。
彼は戦争末期、沖縄・渡嘉敷島であったという軍命令の「集団自決}について命
令を出したとされる当の隊長から”そんなことはない”と名誉毀損で訴えられてい
るのだから、これに対して、もしそうでなければ反論すべきである。ところが、それ
には答えず、当時の軍命令の一般論に議論をすり替え、日本人の資質論を述べ
ているにすぎない。

大江氏は昭和10年1月の生れ、沖縄戦の当時は愛媛県の山奥の大瀬国民学校
の5年生であった。直接戦争を体験していない。空襲や学童疎開を経験した都会
の子供達と違い、戦争の”空気”すら知らない。だからといって、彼が沖縄の集団
自決について書くなというのではない。現地の取材すらしていないで、想像でもの
を書くべきではない。書いたからには、作家としてそれに責任を持つべきである。

同じ作家の曽野綾子氏の「沖縄戦・渡嘉敷島集団自殺の真実」は、直接現地を取
材し、その中で「集団自殺」の軍命令をを否定する当時の住民の証言を紹介してい
る。曽野氏は昭和6年、東京生れで、沖縄戦時は金沢の疎開先で、学徒動員を受け
た世代である。大江氏とは3学年の違いだが、戦争体験には、かなり相違がある。

曽野氏は産経新聞のコラムに次のように書いている。「本土決戦になれば、国土防
衛を担う国民の一人として二発の手榴弾を配られれば、一発を真っ先に敵に向かっ
て、残り一発で自殺するというシナリオを理解していた」。僕は曽野氏と同世代、敵の
上陸に備えて江戸川運河の拡幅工事に動員されていたが、同じ気持ちだった。多分
大江氏にはこの実感がない。