「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       平成20年元旦 昭和20年元旦

2008-01-01 07:22:38 | Weblog
首都圏の新年はは晴天に恵まれ、静かに穏やかに明けた。除夜の鐘を聞きながら
インターネットで取り寄せた月山(山形)のソバを夫婦で食べた。そのあと老妻は隣
に住む娘と一緒に近くの神社へ初詣に出かけた。僕はそのまま朝まで寝床で無礼
をかこって新年を迎えた。

謹賀新年。皆さまおめでとうございます、
考えると平成も早や20年である。年号が平成に変わり,故小渕官房長官(当時)が
テレビの画面で発表したのは、つい昨日のように思うのだが・・・。当たり前である。
わが家の平成3年生れの孫はすでに高校1年である。僕より身長が伸びた孫をみる
と63年前の昭和20年の新年を想い出した。

昭和20年1月1日(月)晴
「午前0時20分,敵一機帝都に焼夷弾を落とす。1時近く警報解除、ゲートル巻きの
まま仮眠したが、眠れず。午前5時再度警戒警報発令。午前7時すぎ義妹の家(東
京台東区黒門)の家が全焼との知らせ。屠蘇(とそ)もおせちもない型だけのお雑煮
を食べ、見舞いに駆けつけた。この日の空襲で上野のほか浅草の元開盛座付近と
本所がやられた」(亡父の日記より)

初詣から帰った老妻の話では、昔の郷社にすぎない神社なのに境内は人で埋まり、
本殿まで長い行列だったという。参詣の大半は若い人たちで、神社側も篝火(かが
りび)をたき、タル酒の振るまいまであったとのこと。みじめで悲惨だった昭和20年
とは、あまりの違いだ。僕は三が日のあと4日から、蒲田の人間魚雷の部品工場へ
学徒動員となった。年賀にきた孫の姿をみて平和の有難さを改めて実感した。