「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          迷彩色 国防色への抵抗

2008-01-21 06:40:37 | Weblog
"ハニカミ王子”ことプロゴルファーの石川遼君が迷彩色のズボンをはいてプレー
したことで日本ゴルフツアー機構(JGTO)から「迷彩色は紳士のスポーツ、ゴルフ
に適していない」として着用を禁止された。迷彩色は戦闘服の色であり。僕ら戦争
体験者には、紳士に違反する以上の抵抗がある。

迷彩色は、もともと周囲の色をカムフラ-ジし、敵を欺くために考案されたもの。先
の戦争でも旧日本陸軍は戦車の一部に使用された。世界的に軍服に使われ出し
たのは戦後らしい。日本陸軍の軍服は国防色と呼ばれたカーキ色だった。この色
も第一次大戦のさいの戦場の砂漠の色に似せたものだと言う。

昭和18年、僕らが旧制中学に入学した時の制服もカーキ色の軍服まがいのもので
制帽は戦闘帽、ゲートル(巻脚絆)着用だった。上級生は、昔の黒い学帽で詰襟
の制服を許されていた。それがなにか僕には羨ましく思われた記憶がある。敗戦後
も物資難からカーキ色にお世話になった。昭和23年、大學に入学した時も復員が
遅れた学生の中には旧将校服の学生もいた。

敗戦のショックと戦争中の酷しい体験からか、僕らの世代にはカーキ色アレルギー
が多い。数年前まで東京の地下鉄職員の制服が鶯色かかったカーキー色だったが、
僕はこれに嫌悪感があった。孫と同年齢の石川君には、おじいちゃん世代のこんな
気持ちは知る由もないだろう。責める気持ちはない。

怖いのは、先日の佐世保猟銃乱射事件の犯人も迷彩服で犯行に及んだ。街を行く
若者の中にも迷彩色ルックをみかける。まさかとは思うが、若者の脳裏下に戦争へ
の期待があるのだろうかー。