「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         スハルト小団長と土屋大尉

2008-01-28 07:21:03 | Weblog
インドネシアの第二代大統領のスハルト氏が昨日、多臓器不全で死去した。生前彼が
まだ若かりし頃を知る一人として、心からお悔やみ申し上げます。彼は1968年から97
年まで32年間も大統領の座につき「開発の父」として国民から尊敬を受けたが、晩年は
独裁と家族ぐるみの不正で国民から糾弾を受けた。毀誉褒貶なかばした政治家だ。

スハルト氏の死去をしり、僕は旧知の故土屋競氏のことを想い出した。土屋氏は大東
亜戦争下のインドネシアでPETA(インドネシア義勇軍)錬成隊の教官(大尉)としてイン
ドネシアの青年を教育していたが、当時スハルト氏は第四中隊の生徒(中部ジャワ小
団長)で、直接土屋教官の教えを受けた。

1968年3月、大統領として初来日したスハルト氏は、多忙な公務の中で土屋氏を真っ先
に探し出し、宿舎のホテルに招いた。その時のことを土屋氏は自著の中でこう書いている。
「この方が私の先生の土屋さんだよ」と傍らの夫人に紹介した。夫人は「主人はいつもこ
うして現在の立場になれたのは土屋さんのお蔭だと申しております、有難うございます」

土屋競氏は数年前逝去されたが、戦友たちの評は清廉潔白の人だった。彼と大統領と
の関係を知り、日本の商社やメーカーからアプローチがあったが、一切断った。腐敗と癒
着が渦巻く国である。立場を利用すればカネ儲けはできた筈である。

僕がジャカルタに滞在していた42年前には、僕の周囲に日本の軍政時代を知るかっての
兵補(軍隊の補助兵)や義勇軍出身者が沢山いて、昔の日本の軍歌や流行歌を一緒に
歌ったものだ。スハルト氏の訃報に接し、改めて一時代の終わりを知った。