「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         書き初め 「温故知新」

2008-01-02 06:28:37 | Weblog
昔はどこの家でも正月2日に書き初めをするしきたりがあった。陰陽道の歳特神
がおまします恵方に向かって正座し、めでたい四字熟語や言葉を半紙に筆で書い
たものだ。学校でも正月休みの宿題になっていて、休み明けに持参して教室に張
リ出された。字の下手な僕にとっては、楽しい正月の行事の中でこれだけが苦痛
だった。

暮れの福田総理の中国訪問で,たしか孔子の生誕地,曲阜の孔子廟を訪れた時
だったと思うが、総理が墨痕鮮やかに「温故知新」としたためたのをテレビの画面
でみた。「温故知新」とは論語の為政編の中に出てくる言葉で、古きを温ねて(たず
ねて)新しきを知る、つまり昔の物事をよく研究し吟味して、そこから新しい知識や
見解を得ようという意味である。(広辞苑)

三千年の長い日中間の歴史の中にはいろんな事があった。漢字や仏教の伝来など
中国に感謝しなけければならない。また、さきの戦争でも迷惑をかけたかもしれない。
その意味で「温故知新」には反対ではない

儒教を中国から学んだわが国は1972年の日中共同声明、78年の日中平和条約で
儒教の教えどおり、謝るべきは謝ったはずである。ところがである。僅か4年の出来
事である。日本の国連安保理常任理事国入りと歴史教科書問題をめぐって、中国で
反日デモが荒れ狂い、大使館や総領事舘が投石され、料理店が壊された。これに
対して中国からの謝罪も補償もない。

孔子の教えは人の常時守るべき道として仁,義,礼,智、信の五常をあげている。4
年前の反日デモは、五常にもとる行為と僕は思うのだが,共産中国ではもはや儒教
は絵に書いた餅なのかもしれない。