首都圏はここへ来て寒い日が続いているが、正直なものだ。隣家の寒梅が早くも
ほころび始めた。これに負けじとわが家のベランダの小枝の寒梅も花を咲かせた。
昨年1月18日のブログでも僕は、この寒梅について書いたが、植物には季節の移
りを感じ取る不思議な能力があるみたいだ。”もうすぐ春ですよ”の歌声も近い。
庭上一寒梅(新島襄)
庭上一寒梅 笑侵風雪開
不争又不力 自占百花魁
(庭先の寒梅が咲いた。風雪に耐え笑うように、争わず無理もせずにどの
花よりも先に花を咲かす)
同志社大学の創始者で教育学者だった新島襄が明治24年元旦、病気で療養先の
神奈川県大磯で詠んだ、辞世の五言絶句である。時に新島46歳である。46歳といえ
ば、今ならまだ”若造”の部類に入る世代だ。とても「庭上一寒梅」の新島の心境に
いたらない。新島には寒梅を詠んだ別の句もあり、同志社大学のキャンパスに碑が
建っている。
真理似寒梅 敢侵風雪間
新島は明治24年1月23日、白梅が咲き誇る大磯で夫人や弟子達に見守られ天国に
旅たった。遺言は「平和喜び天国」だった。年々歳々、寒梅が咲き出すと、僕も”冬
来たりなば春遠からじ”の気持ちになる。
ほころび始めた。これに負けじとわが家のベランダの小枝の寒梅も花を咲かせた。
昨年1月18日のブログでも僕は、この寒梅について書いたが、植物には季節の移
りを感じ取る不思議な能力があるみたいだ。”もうすぐ春ですよ”の歌声も近い。
庭上一寒梅(新島襄)
庭上一寒梅 笑侵風雪開
不争又不力 自占百花魁
(庭先の寒梅が咲いた。風雪に耐え笑うように、争わず無理もせずにどの
花よりも先に花を咲かす)
同志社大学の創始者で教育学者だった新島襄が明治24年元旦、病気で療養先の
神奈川県大磯で詠んだ、辞世の五言絶句である。時に新島46歳である。46歳といえ
ば、今ならまだ”若造”の部類に入る世代だ。とても「庭上一寒梅」の新島の心境に
いたらない。新島には寒梅を詠んだ別の句もあり、同志社大学のキャンパスに碑が
建っている。
真理似寒梅 敢侵風雪間
新島は明治24年1月23日、白梅が咲き誇る大磯で夫人や弟子達に見守られ天国に
旅たった。遺言は「平和喜び天国」だった。年々歳々、寒梅が咲き出すと、僕も”冬
来たりなば春遠からじ”の気持ちになる。