「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     公立中学校の"有料塾"と石原都知事の発言

2008-01-11 06:31:17 | Weblog
石原慎太郎都知事の"鶴の一声”で都教委は杉並区立和田中学校の"有料塾”を
一転して容認する方向らしい。一昨日のブログで、僕は”有料塾”には賛成ではな
いが、都内中学校の現状から仕方がないと書いた。しかし、その後和田中学校の
案を知り、これでは都教委が危惧する通り公教育の機会均等に反している。絶対
反対に立場を変えた。

和田中学校の案をみると、塾に参加できるのは成績の好い生徒だけで、これも試
験して選ぶ。参加料は一回500円、月額18,000円から24,000円と高い。契約する塾
の相場からすれば安いのだそうだが、世間の一般常識からすれば高い。区立中学
校の施設を使い、学校の先生も教材作成に参加する。これでは義務教育の機会均
等に明らかに逸脱している。

都教委の危惧に対して、石原都知事は条件つきながら”有料塾”を容認する発言を
した。"ポジテイブに子供のために足らないものを補うのはよいことだ”ーその通りだ
が、知事は区立中学校は義務教育であるのをご存知ないのかー。知事は就任以来
一部都立高校のレベルアップや中高一貫校で名門大學への合格率を高めるのに成
功した。僕はこれについては一応評価する(反面、入学希望者のない高校も出てき
たが)しかし、義務教育の中学校は違う。

情けないのは、和田中学校の先生である。自分たちで子供の教育ができず、外部の
手を借りなくてはならないとは!それより受験戦争の名のもとに置き去りにされ、塾
に行けない子供と保護者である。こんなことも理解できない知事にもそろそろ老害が
出てきた。区立中学校は都立日比谷高校や県立湘南高校とは違う。どうぞお忘れに
ならないように。



      ケニアの暴動とODA(政府開発)予算

2008-01-10 06:32:04 | Weblog
アフリカの国の中で、日本人に知名度の高い国の一つはケニアだ。1950年から
60年代にかけてかけて「少年ケニヤ」という山川惣治作の密林冒険物の絵物語
が大ヒットし35万部も売れた。その後漫画化され、テレビや映画にもなったから
60歳前後から上の日本人の男性は”ケニヤ"の名前を知っている。

このケニアで昨年暮れの大統領選挙の結果をめぐって当選した大統領派と野党
派との間に衝突が起こり、野党派勢力の強い西部を中心に暴動に発展している。
アフリカの中では比較的安定していた国だったが、国連人道問題調整事務所(O
CHA)の推定では25万人も避難民が出ており、民族紛争にも発展しかねない情
勢のようだ。

自民党国家戦略本部(本部長福田康夫総裁)がアフリカに対するODA(政府開発)
予算を2012年までに三倍に増額するよう政府に提言した、と新聞に書いてあった。
今年5月横浜で開催予定のTICAD(アフリカ開発会議)への”アドバルーン”かも 
知れないが、難問山積のこの時期だけに一般国民にはいま一つ理解できない。

高村外相は今年初めての外国訪問国としてケニアを予定していたが、暴動発生
で急遽、訪問を中止した。ことほど左様に、アフリカの情報は少ない。残念ながら
わが国の情報は、まだまだ旧宗主国(英国、フランスなど)に依存している。開発
途上国への援助に対して反対はしないが、よく情報を整理して相応な援助に留めた
ほうがよいと思うのだが。

          公立中学校での有料塾

2008-01-09 06:58:27 | Weblog
公立中学校で進学塾の講師を呼んで有料特別授業をするという。この案をめぐって
東京都教育委員会と地元の杉並区教育委員会の意見が違い、実施が延びている。
是か非かー今の日本の教育の現況を物語っているような問題だ。

問題の学校は杉並区立和田中学校(生徒数379人)で、3年前初の民間人校長とし
注目された藤原和博氏の発案だ。中学2年生を対象に平日の夜や土曜日を利用し
て進学塾の講師に頼み授業して貰うというもの。都教委は”有料授業は義務教育
の機会均等に反する”として反対、地元の教委は学校側の案を支持している。

首都圏ではここ数年、公立中学校への進学離れが続き、4人か5人に一人は地元
の中学校へは行かず、官公立や私立の中高一貫校へ進学しているという。この春
学区内の中学へ進学する孫の小学校でも女子の半分は中高一貫校を受験する。
理由は”ゆとり教育”のツケで公立中学校の学力が低下し、思うような高校へ進学
できない父兄の不安かららしい。

和田中学校では、民間人校長が就任して以来、独特の教育で、いわゆる有名進学
高校への進学率が上昇しているようだ。多分、今回の”有料塾”案も考え出されたも
のだろう。僕はこの案を知ったとき、最初、本末転倒もよいところ、学校の先生は何
をしているのか、メンツも丸つぶれだと思った。

しかし、である。公立中学校の現実は、直接教育現場にいる藤原校長の心配する通
りのようである。小学校では塾通いさせなかった娘夫婦も、ついに”意を決し”暮の休
から塾通いに踏み切った。都教委は教育の現場を知らなすぎる。義務教育の機会均
等をうたいながら、一方では"格差”をあおっている。家の近くに都立の中高一貫校が
あるが、和田中学校とは違って地域配慮はせず、遠方からの”塾漬け”の子供達だけ
の学校と化している。和田中学の"有料塾”には必ずしも賛成ではないが、教育を起業
と考えるならば、当然の"自衛策”である。



      寒稽古 寒中水泳 ,寒参り

2008-01-08 07:19:12 | Weblog
小寒(1月6日)から大寒(1月21日)までは1年中で最も寒い「寒」である。
今年の首都圏は元旦から晴天が続き”冬”らしい寒い日が多かったが、
「寒」に入ったとたん皮肉なことに"春”を思わせる暖かさだ。これも地
球温暖化現象の現われなのだろうかー。

寒の入りで想い出すのは、子供のときの寒稽古だ。「乱取りの気合こ
めたる寒の入り」-素之。寒い寒い朝、手をかじかめ、学校の柔道場
へ通った。戦前は東京の区部でも霜柱があり、その上をサクサクと踏
むのが楽しかった。戦時中だったので家々の門前には防火用水があ
って、厚い氷が張っていた。

荒川放水路や月島などにまだあった水泳道場では、寒中水泳が催さ
れた。当時60歳代の亡父が黒い六尺褌をしめて、これに参加したのを
覚えている。先日、ロシアで氷点下の海で”寒中水泳”が行われている
のをテレビの画面でみた。洋の東西を問わず、同じような行事があるの
は面白い。

神仏に願をかけて寒中に詣でる「寒参り」の習慣もあった。白装束に身
をかため寒参りが、太鼓をたたいてやってくると、長女がおびえてな泣
き出したのを覚えている。東京の区部でも昭和30年代には、まだ寒参
りの習慣が残っていたのだ。

寒中でもチャルメラを吹いて屋台の支那ソバ屋がやってきた。かんすい
のきいた黄色の麺で、具はシナチクになると焼き豚だけ。素朴なものだ
ったが、寒空の下で食べる味は格別だった。今や、あの郷愁をさそる悲
しげなチャルメラの音も支那ソバの味も過去のもの。やがて「寒」自体が
地球上から消える日が来るかもしれない。

       9歳馬の活躍 高齢者よ頑張ろう。

2008-01-07 06:27:14 | Weblog
昨日の中山競馬の初冨士賞で9歳馬のワイルドファイターが一着にとびこみ三連単で
80万円を越す大穴をあけた。競争馬の9歳といえば人間なら60歳を越す高齢である。
テレビでワイルドファイターの勝利をしり、馬券を買っているわけではないのだが、僕は
快哉を叫んだ。

暮れから新年にかけて新聞の社会面には、高齢者がらみの悲劇の暗いニュースが多
すぎる。青森県弘前では82歳の母親が、次女の58歳の看護師に殺され、八戸市では
76歳の父親が53歳の長男に殺されている。千葉県の市原市では90歳の一人暮らし
の老人が自宅で何者かに殺されている。長野県の東御市でも一人暮らしの58歳の男
性が殺害されている。それぞれ原因や背景は違うが、老人が犠牲者である。

しかし、一方ではプロスキヤーの三浦雄一郎氏(75歳)が今年の5月に世界最高峰のチ
ョモランマ(エヴェレスト8,840m)に再登頂を試みるというニュースもあった。三浦氏の登
頂の目的の一つは、加齢制御医学が専門の順天堂大學の白沢卓二教授の研究に協力
して、持病の不整脈と高山病発症との関係に役立たせようというものだ、という。

馬齢を重ねるという言葉がある。たいしたこともせず、いたらずに年齢をとる、というのを
謙遜して言う言葉だが、三浦雄一郎氏の雄図を知り、後期高齢者の僕も”馬齢”などと
謙遜している場合ではない。9歳馬「ワイルドファイター」の名のように荒々しく余生と闘う
決意を新たにした。高齢者よ頑張ろう。


          ブンガワン・ソロの洪水とODA

2008-01-06 07:15:40 | Weblog
          ▽ブンガワン・ソロ (作詞作曲 Gesanng )
             ブンガワン・ソロ これが君の歴史だ 昔から
             人々は君に関心を持っていた 乾期には水がなく
             やがて来る雨季には溢れるばかり 
             ソロの水源のまわりを 千余の山々が囲む
             川の流れは長々と海まで続いている 
             その舟は君の歴史 商人たちはいつもその舟に
             乗っている   (訳詩 加藤裕)

戦後、昭和20年代、藤山一郎や松田としが歌って大ヒットしたインドネシアの歌だ。
もともとは戦争中インドネシアに駐屯していた日本軍兵士の間で流行し、戦後同地
から復員した藤山一郎によって紹介されたものだ。内容は上記の訳詩のようにジャ
ワを流れるブンガワン・ソロ(ソロ河)を歌った叙事詩である。

ジャカルタで発行の日本語の新聞「じゃかるた新聞」によると、年末からの大雨で、こ
のソロ河が氾濫し、下流の地域で死者まで出す、大被害を出している。ソロ河は毎年
雨季になると慢性的に洪水に見舞われている。僕がインドネシアに常駐していた42
年前にも氾濫して日本から350万㌦の見舞金が贈られている。

今年は日本とインドネシア国交50年である。わが国のこの国へ供与した援助額は累
積では世界トップ。僕が滞在した頃に比べれば、ジャカルタ市街には高層ビルが林立
しているが、ほとんどはホテルか金持、外人用のマンションである。街は車の大洪水で、
ものすごい公害である。

日本のODA(政府開発援助)は、どうなっているのだろうかー。本当にこの国の発展
に寄与してきたのだろうかー。ODA援助は供与国の要請に基づき行われるのが原則
なのだそうだが、援助の先端で働いた僕の体験では、かなりの額が”要請”の名のもと
に不必要な”プロジェクト”に使われ、汚職役人の私腹を肥やしている。ODA関係者は
"援助”は、われわれ国民の税金であることをもう一度お忘れなく。

         日本人の「努力」と「根性」

2008-01-05 07:14:25 | Weblog
NHKの先日の調査によると、日本人の好きな言葉の中から「努力」とか「根性」
といった言葉がランク・ダウンしたそうだ。たまたま、その日の箱根駅伝で3大
学の選手が途中棄権し、タスキがつながらなかった。2人は脱水症、1人は足
の故障によるものだが、長い箱根駅伝の歴史でも3大學が途中棄権するのは
初めてのこと。やはり、これも「努力」「根性」のランク・ダウンと関係があるのだ
ろうかー。

また昔のことだが、戦争中通学していた中学(旧制)では、毎朝朝礼のとき校訓
七か条を合唱させられた。尊王愛国 恭謙敬愛 清廉潔白 至誠一貫 質実剛
健 反省謝恩 勤勉努力ー。子供でよく意味もわからずに大声でどなったが、な
ぜか「勤勉努力」は理解できた。”努力の前に難事なし”という言葉も暗記させら
れた。

日本語の「努力」とか「根性」とか「頑張り」といった言葉を正確に外国人に伝える
ことは難しい。多分日本人だけが持つ特性だからだろう。こういった言葉が日本
人にあまり好まれなくなったのは、高度経済成長期以降の社会では、達成感を体
験出来る場が少なくなったからだ、とものの本に書いてあった。別の本には「ガン
バリズム」を強制すると出社拒否や登校拒否の原因になると記してあった。

”艱難汝を玉にす”-と教育された僕らの世代には、なんとも情けない。どんなにス
ポーツ医学が進歩しても”根性”や”ガンバリズム”がなければ、北京五輪で日の丸
を揚げることは出来ない、と思うのだがー。

      孫の初バイト 中ぐらいなるおらが春

2008-01-04 07:20:26 | Weblog
      ”めででたさも 中ぐらいなる おらが春”(白井一之)
      ”初春や冥土の旅の一里塚 楽しくもあり楽しくもなし”
老人の僕にとっては、まさにこの心境だ。三が日、僕はこれといってすること
もなく、ほどほどに酒を飲み、ほどほどにテレビを見てすごした。そんな中での
唯一の話題は、高校1年の孫(男)がスーパーの催事場で初めてアルバイトを
して他人さまからおカネを頂いたことだ。

アルバイトという言葉はドイツ語の"arbeit"(労働)からきている。敗戦直後まだ
旧制高校があった頃、学生が学費稼ぎに仕事をすることを気取って”アルバイト”
と呼んだ。僕も昭和23年夏休みに当時多摩川べりにあった水泳プールで初めて゛
アルバイトをした。大学の予科1年(現在の高校3年)の時で更衣所でお客の脱い
だ衣類を預かる仕事であった。当時はロッカーなどなかった頃だ。

学生時代は家庭教師から始まっていろんなアルバイトをした。トラックの荷台に
乗って荷物の揚げ降ろしをする”上乗り”。鉄道線路でケーブルを引っ張る線路
工夫の手伝い。理科系の大学生に”化けて”旋盤工の真似事などなど。でも焼
跡時代には、なかなかアルバイトはなく、地方から来ている学生の中には自分
の血を売って生活していた。

今の学生たちの中には、学費稼ぎにアルバイトをしている者はあまりいない。わ
が家の孫もそうである。孫の初バイトを一番喜んだのは娘夫妻である。そっと隠
れるようにして孫の仕事場を覗いてきたようだ。中くらいなる庶民の春である。


         予想された「紅白」低視聴率

2008-01-03 06:38:58 | Weblog
昨年の大晦日の「紅白歌合戦」の視聴率(関東地区)が史上ワースト2位だった。
ビデオ・リサーチ社の調査によると、第2部の視聴率は39・5%で、2004年につぐ
低さ。僕はもっと低いかと予想していただけに、むしろ意外な感じさえした。それ
ほど、ここ数年の「紅白}は魅力がない。

僕が地方の民放に勤務していた昭和40年代は「紅白」は、まだまだ大晦日の"国
民的行事”といわれるぐらい人気があった。昭和38年の第14回大会には81・3%
と、民放からみれば信じられない"化け物”番組だった。この「紅白」の視聴率が低
迷しだしたのは、いつ頃からだろうかー。わが家では最近は”あたま”の部分だけ
みてすぐチャンネルを切り替える。娘夫婦の家でも同じである。

原因はいろいろあるだろうが、最大なのは"演出過剰”である。やはり歌番組は歌
番組である。それに大晦日の番組なのだから、やはり視聴者には、その一年をふ
りかえり、ひいては、過去の”こしかた”を振り返りたい気持ちもある。どうも最近は
その感情を考慮していない気がするのだが。

昨年の「紅白」出場者のメンバー表を見てみよう。「白」組にはなんとローマ字表期
の出演者が6組、カタカナが4組、同じく「紅」組も6組、2組と”国籍不明”が多い。こ
れだけでも、僕ら老人には抵抗がある。

NHKは民放ではない。視聴率で商売しているのではない。やはり大晦日の番組は
かってのように家族全員が楽しめる番組をつくって欲しい。番組制作の原点に戻る
べきである。


         書き初め 「温故知新」

2008-01-02 06:28:37 | Weblog
昔はどこの家でも正月2日に書き初めをするしきたりがあった。陰陽道の歳特神
がおまします恵方に向かって正座し、めでたい四字熟語や言葉を半紙に筆で書い
たものだ。学校でも正月休みの宿題になっていて、休み明けに持参して教室に張
リ出された。字の下手な僕にとっては、楽しい正月の行事の中でこれだけが苦痛
だった。

暮れの福田総理の中国訪問で,たしか孔子の生誕地,曲阜の孔子廟を訪れた時
だったと思うが、総理が墨痕鮮やかに「温故知新」としたためたのをテレビの画面
でみた。「温故知新」とは論語の為政編の中に出てくる言葉で、古きを温ねて(たず
ねて)新しきを知る、つまり昔の物事をよく研究し吟味して、そこから新しい知識や
見解を得ようという意味である。(広辞苑)

三千年の長い日中間の歴史の中にはいろんな事があった。漢字や仏教の伝来など
中国に感謝しなけければならない。また、さきの戦争でも迷惑をかけたかもしれない。
その意味で「温故知新」には反対ではない

儒教を中国から学んだわが国は1972年の日中共同声明、78年の日中平和条約で
儒教の教えどおり、謝るべきは謝ったはずである。ところがである。僅か4年の出来
事である。日本の国連安保理常任理事国入りと歴史教科書問題をめぐって、中国で
反日デモが荒れ狂い、大使館や総領事舘が投石され、料理店が壊された。これに
対して中国からの謝罪も補償もない。

孔子の教えは人の常時守るべき道として仁,義,礼,智、信の五常をあげている。4
年前の反日デモは、五常にもとる行為と僕は思うのだが,共産中国ではもはや儒教
は絵に書いた餅なのかもしれない。