「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東方神起の全面広告

2013-08-11 06:24:36 | Weblog
昨10日わが家に宅配された「産経新聞」を見てびっくり仰天した。「東方神起の新境地を目撃せよ」と大きな活字が躍っている。「東方神起」-どこかで耳にした名前だが、何だったか老妻に聞くと、韓国の有名な音楽家なのに知らないのかと蔑まれた。それにしても、カラー写真入りの4ページにわたる全面広告である。だれが広告主なのだろうか知らないが、公演の模様は,フジテレビNEXTライブ.プレミアムで8月31日午後放送される。

先日、週刊誌の見出しを見たら、最も嫌われテレビ局の一位はフジテレビとあった。そのせいなのだろうか。このところ、フジテレビの視聴率の低下がめだつ。かって”母と子のフジテレビ”とか”面白くなければテレビではない”などとテレビ業界に君臨していたフジテレビだが、その凋落ぶりは痛ましい。テレビ業界に詳しい友人に不信の原因を聞くと、その一つは、フジが韓流ドラマに偏重しすぎて、一部の視聴者から反感を買ったのが原因しているという。一昨年だったか、お台場の同局には毎週デモがかけられていた。

たたり目にいたり目というが、同じ日の」産経新聞」(首都圏版)21面の社会面には横組みのベタ記事で”BPOフジ報道に「放送倫理上問題」として、同局が大津市のいじめ問題で加害者だとされる少年の写真入り書面をモザイク処理したのは報道倫理上問題とするBPO(放送倫理番組向上委員会)の見解を小さく載せていた。

民放は商業放送である。視聴率の上下が営業成績に関係するという。その視聴率は局のステーション.イメージと相関している。「東方神起」の広告効果が吉とでるか凶と出るか興味あるところだ。

老人のバリアー.フリーにもっと配慮を!

2013-08-10 05:13:44 | Weblog
東京北区赤羽で老朽化した水道管により出来た区道のくぼみに足をとられ、77歳の男性が転倒、意識不明で病院に運ばれた。東京都水道局の調査では、くぼみは縦横1㍍,深さ10㌢ほどのもので、隣接する水道管の老朽によって出来たものだという。健常者なら、この程度のくぼみなら、どうということはないのだが、老人には間違えば命とりにもなりかねない。

70年来の友人が先日、渋谷の歩道橋で転倒、大ケガをして今リハビり中だが、彼から”ヌカヅケ”に注意しろと忠告された。”ヌカヅケ”の「ヌ」は濡れた場所、「カ」は階段そして「ヅケ」は片づけ物の意味だという。昨年来左膝の痛みから外出時には杖のお世話になっている、僕にとって”ヌカヅケ”は、いちいち心当たることがある。

杖つき老人にとって外出時一番困るのは、鉄道各駅の階段である。交通量の多い駅は、ほとんどエレベ―タ―ガあり、エスカレーターが設備されているが、小さな駅はエスカレーターがあっても上りだけで下りがない。杖つき仲間に聞いてみると、上りより下りのエスカレーターがないのが苦痛である。若い時はなんでもなかったが、僅か四、五段の階段でも老人には大変である。

かかりつけの医者に言われて「アルツディオ」という関節注射を週に一回、五回続けてしてみたが、僕には効き目がない。左膝の半月板摩耗という診断で、マッサージ、電気療法、水中歩行と色々試みてみたが効果はない。80年の人生の疲労だからやむをえないのだろう。せめて大事にならないよう”ヌカヅケ”だけには注意しよう。長生きするには、なかなか大変である。

慰安所の記録の価値判断

2013-08-09 06:30:02 | Weblog
戦時中、ビルマ(ミャンマー)とシンガポールで旧日本軍相手の慰安所で働いていた韓国人男性の当時の日記が見つかった、と韓国と日本の一部のますマスコミが大騒ぎしている。ソウル発毎日電は、慰安婦問題を冷静に議論するうえで貴重な記憶となる、としているが、果たしてそれだけの価値のあるものだろうかー。

日記は10年ほど前、ソウル大学の安名誉教授ががソウルの古本屋で入手したものだそうだ。漢字、カタカナ、ハングルで記されていて、当時の朝鮮半島出身者の言語生活を知る上では面白い。日記の筆者は昭和17年(1942年)釜山を出発した第四次慰安団として現地に向かい、19年帰国するまで、ビルマ、シンガポールの朝鮮人j女性の働いていた慰安所での生活を日記として書いている。

ソウル発毎日電は日記の内容について、第三者が当時の模様を書いたものとして珍しいとしている。僕は原文を読んだわけではないが、伝えられる限りでは、慰安婦が自由に廃業して結婚したり、稼いだ大金を故郷に送金したり、韓国側のいう”性奴隷”とは、ほど遠い。中曽根元総理をはじめ、かっての軍人たちが戦友会誌や回想録などに書いているものと同じである。

この日記について安名誉教授は”朝鮮半島では慰安婦の募集は業者が行い、軍が強制連行する必要はなかった”とコメントしている。「従軍慰安婦」問題の焦点は、軍が韓国人女性を強制連行して、慰安婦にしたかどうかである。当時の慰安所の仕組みや実態は、この日記の書いてあるとおりである。どうも日本の若い記者の中には、ニュースの価値判断が出来なくなっているようだ。


”ゆるキャラ” ”ゆるフン”

2013-08-08 05:28:50 | Weblog
作家の曾野綾子さん”ゆるキャラ”について産経新聞のコラム「透明な歳月の光」(8月7日首都圏版)の中で次のように書かれていた。「この頃子供でもない大人が”ゆるキャラ”に群がる。8月3日の新聞に千葉県船橋市の「ご当地キャラクター」として「ふなっしー」なるお化けのような、ゆるキャラが現れ、それが「はじける人気」なのだという。こんなものが好きだったのは、かっては幼い子供だけだった。

曾野綾子さんは僕と同じ昭和6年(1931年)生れ、戦前戦中戦後と同じ時代を生きてきた。そのせいか不思議と似たような考え方が多い。僕も前からよい年をした大人が”ゆるキャラ”に群って、キャーキャー騒いでいるの見て抵抗があった。それもご当地の物産や観光のPRならいざしらず「民主クン」なる政党の”ゆるキャラ”まであるのだ。

政党にマスコット人形があってもおかしくはないが、民主党の「民主クン」は”ゆるキャラ”ではなくて”ゆるフン”みたいだ。”ゆるフン”は、ネットの辞書によると”フンドシの締め方がゆるいこと。締りがないこと。心構えがいい加減なこと”とある。自分が言いだした社会保障会議について、自分の意見が通らないと、会議から脱退するなど”ゆるフン”だ。

たかが縫いぐるみ人形だ。これに目くじらたてるのは大人げないかもしれない。しかし、最近、越中ふんどしや六尺ふんどしを締めなくなった日本の男性は、昔に比べて弱弱しくなってきたようだ。ここ一番、ふんどしを締めなおす時期なのかもしれない。

立秋「風立ちぬ」とノラクロ世代

2013-08-07 05:43:30 | Weblog
今日9日は暦の上では立秋である。でも首都圏は猛暑が再襲、目にも耳にも秋が来たとは思えない。ここ数年、めっきり減ってきた暑中見舞「カモメール」の葉書が50年来の友人から昨日届いた。最近、賀状でさえ遠慮します、という老人仲間が増えてきているのに有り難いことだ。暑中見舞いは普通、立秋までに出すものだそうだが、文面は残暑お見舞い申し上げます、となっている。今年は夏がながく、残暑見舞いのほうがピタリである。

敗戦後の昭和20年代、文芸雑誌がブームの時代があった。「小説」○○といった月刊誌が幾つも出ていた。その時代に育った僕ら世代は立秋というと、堀辰雄の代表作「風立ちぬ」を思い出す。夏が終わるに近づき、秋の気配が感ぜられる頃、信州のサナトリアム(結核療養所)を舞台にした、若い男女がいたわりあいながら生きる純愛作品である。戦後何回か映画化され、テレビでも放映された。

今年は「風立ちぬ」という同名の宮崎駿のアニメ映画が7月の公開以来、3週続けて興業ランクで1位だという。ゼロ戦を設計した実在の人物、堀越二郎の伝記を同世代の人物、堀辰雄となんとはなくからませて、大正、昭和の時代を描いたアニメ作品だとのことだ。

昭和1ケタの少年時代、ノラクロ漫画で育った僕らは「アニメや「漫画」に対しておかしな偏見と抵抗がある。電車の中で、そろそろ頭がはげかかってきた初老の男が漫画本に夢中になっているのを見ると蔑むの目でみたくなる。ところが、宮崎駿の「風立ちぬ」は、こういったノラクロ世代にも人気が出ているそうだ。何事も好奇心、猛暑がおさまり、秋が目にも見えてきたら、僕も見に行くことにしよう。

シンガポール.ブキティマ博物館の旭日旗

2013-08-06 12:11:22 | Weblog

シンガポールのブキテイマ博物館の展示物入口は大きな旭日旗の壁で飾られている。この博物館は昭和17年2月、日本軍と英国軍との最後の激戦地で、ここにあったフォード工場で、英国軍が降伏した。それを記念して数年前博物館が建てられた。シンガポールでは占領直後、華僑の虐殺事件が起き、5千人が殺された(連合軍裁判記録)とされている。昨年11月、僕はここを訪れたが、滞在中親切にアテンドしてくれた陳さん(70)は、虐殺事件で父親を殺害されている。もちろん、過去の事件については、お互いに触れなかったが,過去の恩讐を超越した彼の心からの親切に感謝している。

敗戦は玉音放送の前に漏れていた

2013-08-06 06:47:10 | Weblog
亡父が残した日記の昭和20年8月9日の項に”10時半出勤、昼食そこそこに帝国ホテルの岡崎勝男氏(外務省情報調査局長)の講演会に行く。席上、日ソ開戦、容易ならざるの事態発生の発表あり、憂鬱の気に閉ざされる”とある。長崎に原爆が落とされたのは、この講演会の最中であった。(9日午前11時3分)岡崎氏は戦後外務大臣になった方。亡父は当時大東亜省傘下団体の嘱託であった。

亡父の日記には、一切原爆についての記述はない。広島原爆(6日)については、すでにだ大本営から「新型爆弾」として発表があり、一部ではあるが原爆による広島の惨状は新聞でも伝えれていた。岡崎氏がこの日の講演で、広島原爆に触れたかどうかは明らかではない。が、講演会から翌々日の11日の日記には一言”昨日に続き不快な情報を聞く”とある。日記には”不快な情報”とあるが、日本が負けたという情報であった。当時中学3年生であった僕でさえ理解していた。

桜井よしこさんが産経新聞に書いたコラム”歪曲された麻生発言”(8月5日首都圏版)の中で”終戦5日前に敗戦を示唆する政府声明があった”という記述があった。終戦5日前とは、亡父が”不快な情報”を耳にした8月10日である。ごく限られた範囲だとは思うが、敗戦は天皇陛下の15日の玉音放送の前に漏れていたのは事実である。

そうかといって、庶民にはどうにもならなかった。広島、長崎の原爆の悲惨な結果が正確に伝わらなかったこともあろう。亡父の日記はこの時期でも、毎日酒を飲める場所を求めて勤めの後、駅前の国民酒場をうろついたり、12日の日曜日には仲間と一緒に逗子海岸に泳ぎに行ったりしている。亡父が聞いた”不快な情報”は、当然朝日新聞でもつかんでいたと思う。それにもかかわらず、朝日新聞は14日の紙面で戦争遂行と戦意高揚を強調した社説を掲げている。桜井さんは、これは国民への犯罪的報道だとしている。時代が時代であったことは解るが、なぜ朝日はあえてこんあ社説を書いたのであろうか。

もういい加減にしろ、閣僚の8月15日靖国参拝報道

2013-08-05 05:50:18 | Weblog
8月15日の終戦記念日を前に政府閣僚の靖国神社参拝が今年もまた新聞紙上を賑わしている。今年はこの馬鹿騒ぎが例年に比べて大きいようである。先日の稲田朋美行政改革担当に次いで、自民党の高市早苗政調会長が超党派の議員で組織する「みんなで靖国神社を参拝する会」の一員として参拝することまでニュースになっていた。

小ブログの考えは、敗戦の日には天皇皇后両陛下臨席の下、国が主催して「全国戦没者追悼式が行われている。公式行事としてはこれで十分であり、靖国神社を参拝するかどうかは個人の心の問題だというものだ。総理がこの日に参拝したのが、騒がれ始めたのは1985年、中曽根首相当時、朝日新聞が「靖国神社」特集して、これに過剰反応した中国が抗議、これによって中曽根首相が参拝を取りやめてからだ。国民の話題になったのは、小泉首相が紋付き袴姿で参拝してからの事だ。中曽根首相前は参拝した首相もいたし、しなかった首相相もいた。

第一次安倍内閣(2007年)の時には閣僚16人全員が参拝しなかったことがマスコミの話題になった。その後安倍総理は、この問題について発言は二転三転しているが、結局8月15日には参拝しない。僕はそれでよいと思う。「国のため命ささげし人々の事を思えば胸せまりくる」(昭和天皇御製)。僕は一日も早く「靖国」をめぐる環境を整備して、天皇陛下が靖国神社を親拝できるように、することが総理のする仕事であり、それが英霊にこたえる道だと思う。

高市政務会長の靖国参拝の記事(朝日新聞レジタル)は、常套句だが”中国や韓国から批判を浴びよう”と結んでいたが、どこの新聞なのかー。歪曲された先日の麻生副総理の「ナチス」発言もそうだが、朝日新聞は言論の自由をはき違えているとしか思えない。

”蟻とキリギリス”と社会保障改革

2013-08-04 06:18:25 | Weblog
社会保障改革国民会議の最終報告書が大筋で合意ができたという。これで”給付は高齢者中心、負担は現役中心”と変に老人蔑視を煽っていた世論も若干は緩和されるかもしれない。民主党がマニュアルに謳った後期高齢者医療制度の廃止は、年寄りが要求したものでもないのに、まったく”奇想天外だ”と最終報告書は位置づけている。老人をコケにするのもほどがある。

社会保障の負担は本当に現役中心なのだろうか。卑近の例で恐縮だが、先日役所からきた書類を見ると、夫婦合わせて162歳のわが家の後期高齢者医療保険の総額は年間40万円を超え、二人ともお世話になっていない介護保険料15万円を入れると、併せて毎月4万6千円負担している。厚生年金老齢年金合計、月20万円ほどのわが家にとっては、かなりの負担である。それに医療機関への窓口負担も現役なみの3割ときている。

最終報告書は70歳から75歳までの窓口負担を現行の1割から2割になるという。社会保障の精神からみて当然である。遅きに失した措置である。後期高齢者でも3割負担者もいるのだから。これで多少は”負担は現役”という世論からくる年寄り蔑視も緩和されるだろう。イソップ寓話の中に”蟻とキリギリス”というのがある。夏の暑い間、蟻はせっせと働き、冬に備えたが、キリギリスは働かず歌を歌っていた”というものだ。僕らの世代は若いとき、モーレツと働きすぎを皮肉られ笑われた。今の現役世代が働かないとはいわないが、キリギリス人間が多いように思われる。これが僕の偏見でなければよいのだが。

現地人の供養が続く東カリマンタンの慰霊碑

2013-08-03 07:03:21 | Weblog

東カリマンタン(ボルネオ)の港町バックパパンから奥地のサマリンダにかけての街道筋は昭和20年7月、再上陸してきた連合軍との戦闘で1万人近い犠牲者が出ており、いまだに遺骨の収集も十分に行われていない。戦後、このサマリンダ街道筋に戦友や遺族によって慰霊碑が建てられたが、街道13㌔地点のカランジュランでは、毎年7月に慰霊碑の前で現地人によって供養が行われている。

慰霊碑を建てたのはBP(バックパパン)永久会だが、歳月の経過とともに関係者も少なくなり、今では会長の日本インドネシア美術協会の益子恒資さん(95)が、現地に若干の供養金を送っているが、今年も現地人の代表Salymlaysさんから、写真とともに手紙で”皆様ご高齢なのを存じております。慰霊碑の供養は現地でやります。慰霊金は必要ありません”と言ってこられたという。

本来ならば、現地の日本人が行うべきものだと思うが、。2008年厚労省の委託を受けた日本遺族会の杜撰な調査によって、この地にある「平和と友好の碑」と「日本人戦没者の碑」の二つとも、持主不明と認定され整理の対象と認定され、あやうく壊されるところだった。厚労省は今でも海外各地にある民間人建立の慰霊碑を日本遺族会に委託して整理しているが、慰霊碑には建立者のそれぞれの心がこもっている。韓国流にあえていわせて貰えば、こんな民族に未来はない。