バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

最近のバンビ

2007年05月16日 | 成長記録
おかげさまで、バンビも私もすっかり回復いたしました。
ただバンビはやっぱり幼稚園でかなり疲れるらしく、お昼前に一度寝てしまうこともしばしば。
またまた久しぶりの日記なので、最近のバンビの様子をまとめて書いてみます。

ことばの遅れは相変わらずだけど、教えたサインを自分でも使いながららことばを発するようになってきた。
例えば 電気(つけて・消して)とか、寝るとか。
「おならをしちゃった時は”失礼”って言うんだよ」と、頭に手を当てる(イメージは敬礼?だったはず)ポーズをしてみせてたら、バンビもやるようになったけど、これがどう見ても”こりゃまた失礼しましたぁ~。”みたいになってるのが何回見てもかわいくて(親バカですとも)笑える。

ただ、単語1つ1つは理解しているけれど、例えば「動物」とか「食べ物」とか総称になると怪しくなったり、帽子と服と靴といった”身に着けるもの”という関連性になるとわからなかったり。その辺はまだまだ課題多し。

トイレ・トレは取りあえず夜寝る時以外は、トレーニングパンツにパットという仕様に変更。
あんなに悩まされた”うんちぽろりん”はいつの間にかしなくなり、うんちが出たらおなかの横をポンポンと軽く叩いて教えてくれるようになった。
もちろん出る前に教えてくれればなお良いのだけど。まぁ焦らず、一歩ずつということで。
おしっこの方もたまにおなかポンポンで事前予告してくれることがあるけど、遊びに夢中になってたりするとまだまだ。この夏こそは取りあえず日中のオムツ離れを目指したいものですが。

日々の遊びは、幼稚園では相変わらずうさぎのエサやり。ダンス(体操?)も好きらしい。家でも盛んに踊って、私に一緒に踊れと強要する。
あとはゴルフも飽きずに繰り返している。絵本も好きで、気がつくとソファに寝転がってひとりで読んでたり。
運動面では 階段は手すり無しでも上り下り(下りるのは1段ずつ両足揃えてになるけど)するようになってきたし、50cm位の高さから両足揃えて飛び降りたりもできるようになって成長を感じる。

できるだけ手先を使うように洗濯ばさみをはずすお手伝いとか、おせんべいを個別包装のビニールごと渡して自分で開けさせるとか、あと口を動かすようにスパゲティやサクランボを食べさせたりとか(種を上手に出せるようになりました)、日々の生活の中でいろいろ工夫してやってみるけどバンビはどれも楽しんで(味わって?)トライしてる様子。
(親の方がなかなかアイディアが浮かばず...。良いネタがあったら是非教えてくださーい!)

そんなこんなでちょっとずつだけど、バンビは毎日少しずつ進歩してマス。
そういうバンビをゆっくり見守っていける今の生活はとても幸せ。

新聞記事から~「ありのまま生きて」

2007年05月16日 | 障害児の親
朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記」というコラムで、さまざまな障害(身体・知的・精神)を持った人のことを取り上げた「ありのまま生きて」というシリーズ(全12回)が4月後半から掲載されていた。(ちなみに担当されていたのは生井久美子さんという方)
それを読んで私自身何度か泣いたり励まされたりして、このシリーズのことをブログにメモして自分の記憶に残しておきたいと思っていたのに、ずっとそのままになってしまっていた...。(著作権思いっきり無視だけど、まぁ個人的メモということで。ちなみに色付き文字が記事からの抜粋。)

いろんな人が障害をもっていても活き活きとありのまま生きている。
でも、いろんな差別や法律の壁や、その他”ありのままに生きていくこと”を妨げるものと戦っている人もたくさんいるし、そういう人達をまた大勢の人が助け、支えているという事実がある。
このシリーズ記事を読んで初めて知ったことがたくさんある。

全国で13万人の知的障害者が施設にいる。いったん入所した後、また街に出て暮らせる人はわずか1%。毎年、刑務所に入る約3万人のうち7千人ほどが知的障害者とみられている。支援がないまま、刑務所に戻る人も多い。

衝撃的な数字。言葉にならない...。

入院して社会から切り離され、保護され管理されて「人生の当たり前の苦労」を奪われてきた人たち。社会の中で生きていくことは、多くの人々とつながり、再び「苦労」することではないか。「商売は苦労。苦労を取り戻そう。」
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日本の精神病床には33万人が入院している。期間も海外よりけた違いに長い。その多くは、支えるしくみさえあれば街で暮らせる人々だ。苦労は、人生の宝物、生きるヒント。
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♪日々を大事に生きるために病気を与えられた 絆を取り戻せるように弱さを与えられた 人につながるようにと苦労を与えられた(「病者の祈り」)

これは統合失調症について取り上げた回の記事から。北海道の「べてるの家」のことは、他でも読んだ記憶がある。

06年8月25日、ニューヨークの国連本部。「障害者の権利条約」案が特別委員会で、満場の拍手で合意された。最初の提案からここまで20年かかった。
「私たち抜きで、私たちのことを決めないで」
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「障害者は弱者で保護の対象と思われてきた。その人権がやっと条約で認められた」。
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世界中から障害者のNGOが集まっていた。世界盲人連合のスウェーデン人女性、キキ・ノードストロムが「世界人口の10%、6億5千万人の障害者を代表して」発言する。「この条約がみんなの幸せにつながりますように」
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条約は90カ国近くが署名した。日本政府は「検討中」。入るには国内法を整備する必要がある。また根づいていない日本の障害者の人権! いま彼らは「障害者差別禁止法」をつくろうと動いている。

日本は先進国だか、美しい国だか知らないけど、やっぱりこういう面ではまだまだなんだなぁ。でも戦ってる人、支えている人がたくさんいる。未来は決して絶望的な状態ではないはず。自分にもできることを、身近な一歩からでいいから何か始めたいと強く強く思う。

最後の回は認知症を取り上げていた。認知症...つまり誰でもが障害者になりうる可能性があるってこと。(もちろん身体や精神障害だって同じことだけど)普段そんなこと思いもせずに生きているけどね。

人は生まれてくるときは丸裸で、人の手に受けとめられてこの世へやってくる。人は、だれかに支えられて育つ。人は、助け合って生きる。人は、死に向かって生きている。だから、今できることを。ありのまま、その日まで生き抜くことが、冒険。