中学の支援級を体験した日
悔しいんだか、情けないんだか、何かに対しての怒りなんだかよくわからないけど
私には珍しく感情がぐるぐるして ものすごーく疲れた。(泣きすぎか?)
バンビはバンビで 身体を目いっぱい動かしたのと緊張とでかなり疲れていたみたいなんだけどね。
でも、私は 自分にもバンビにもすごくイラだってしまい、八つ当たりだとわかっていて
「何であんなに着替えに時間がかかったの? あれじゃ中学生になれないよ!」って 言っちゃったりして。
その日一日 バンビに対して笑顔になれなかったなー。
そういう自分がまたイヤで凹んで...。
ほんと、それぐらい人生で何度目かの(片手で数えられるくらいのランクの)落ち込みっぷりだった。
凹んで、悩んで、ツラかった...。
オットは、私が何か相談すれば一緒に考えてはくれるけど、自分から積極的にあれこれ口出す方ではない。
(まぁ私の性格ではその方がやりやすい場合も多いのだけど。)
こんな時 力になってくれるのは やはり同じような子を持つママ友(特に先輩ママさん)の存在。
”今の中学生とバンビくんを比べても意味ないよ。中学での半年・1年は大きいし。
うちだって入ってから大変で、でもやってくうちに何とかなってきたんだよ。
できないことができるようになることで得られる自信だってあると思うよ。”
”先輩達を見ながら、考えて行動して育つのかもよ。”
こういう言葉が身に沁みてありがたかった。
”何とかなるよー。”って言葉は 何人のママさんにも言われた。
”こういうのって親のエゴなのかなー” って思って悩んだけど
でも、私だって 何が何でも支援級とは思ってなくて、とりあえず入れてみて頑張れるならそれでOK。
どうしてもどうにもならなかったら、その時は迷わず支援学校へ って思ってる。
チャレンジさせてみたいんだよね。
それってダメなのかな?
確かに 先生の手を取らせるし、周りのできる子達には迷惑だろうな と思う。
でもそれも ”親の姿勢”で周りの(特に保護者の)受け止め方なり印象は変わるんじゃない? って言われると
そうかな、そうだよね って思えたりして。
先生に言われた
”理解できずにここにいても、頭の上を言葉が通り過ぎるだけ。
できないことは結局誰かに助けてもらったり、代わりにやってもらったりして終わり、自分でやったという達成感が得られない。
だから自信もつかない。お客さんで終わってしまう。”
って言葉も 確かにそのとおりなんだろう。
でも、それがすべて でもないんじゃないか そんな気がしてきた。
バンビは見通しが立たないことが苦手で、手先も不器用だから、最初からうまくできなくても無理もない。
でも、ルーチン(繰り返し)になるとできたりする。
つまりできるようになるには時間がかかるけど、できるようになったらちゃんとやる子なんだよね。
そんな息子の特性も 思い出すことができた。
(それが中学の支援級で 通用するかどうかはまた別として)
ま、とにかくママ友達の言葉は、私の”メンタルリセット”に 大いに力を貸してくれた。
本当に感謝。ありがとう。
就学って ほんと戦いだなぁ。(いや、戦わずして決まる人ももちろんいるわけだけど)
いや、就学だけじゃなく、発達に遅れや偏りのある我が子を抱えてこれから先も彼の人生を切り開くために
自分の想いや考えを整理して相手に伝わるよう言葉にしなけりゃならないのかも。
(ある程度大人になったら その役割は解放されるのだろうか? まぁその話は別として)
これって日頃から訓練しておかないとなかなか難しい。
そういう意味では ブログ書いてるのは私にとって非常に役に立つように思う。
自分のその時の想いを言葉に残しておくと、こうやって迷った時 自分を振り返ることができるから。
私が息子の中学就学にあたって大事にしようと思っていたことは2つあったんだよね。
→学校に求めるもの
1つは 本人の居心地。
これについては いまのところバンビは”勉強が簡単な方がいい”と思っているらしく
それだけを考えたら 支援学校になるんだろう。
でも友達と楽しく過ごせる環境はどっちだろうか?
で、もう1つは 年齢相応の生活。
花の中学生としての貴重な3年間を いろんな経験をして、失敗もして
「社会」の中で生きてほしい。
そこはブレないように 就学を進めていかなくちゃ。
時間はあんまりないけど、くじけずがんばるぞー。
メールはこちらまで → yakkoxhs@gmail.com
悔しいんだか、情けないんだか、何かに対しての怒りなんだかよくわからないけど
私には珍しく感情がぐるぐるして ものすごーく疲れた。(泣きすぎか?)
バンビはバンビで 身体を目いっぱい動かしたのと緊張とでかなり疲れていたみたいなんだけどね。
でも、私は 自分にもバンビにもすごくイラだってしまい、八つ当たりだとわかっていて
「何であんなに着替えに時間がかかったの? あれじゃ中学生になれないよ!」って 言っちゃったりして。
その日一日 バンビに対して笑顔になれなかったなー。
そういう自分がまたイヤで凹んで...。
ほんと、それぐらい人生で何度目かの(片手で数えられるくらいのランクの)落ち込みっぷりだった。
凹んで、悩んで、ツラかった...。
オットは、私が何か相談すれば一緒に考えてはくれるけど、自分から積極的にあれこれ口出す方ではない。
(まぁ私の性格ではその方がやりやすい場合も多いのだけど。)
こんな時 力になってくれるのは やはり同じような子を持つママ友(特に先輩ママさん)の存在。
”今の中学生とバンビくんを比べても意味ないよ。中学での半年・1年は大きいし。
うちだって入ってから大変で、でもやってくうちに何とかなってきたんだよ。
できないことができるようになることで得られる自信だってあると思うよ。”
”先輩達を見ながら、考えて行動して育つのかもよ。”
こういう言葉が身に沁みてありがたかった。
”何とかなるよー。”って言葉は 何人のママさんにも言われた。
”こういうのって親のエゴなのかなー” って思って悩んだけど
でも、私だって 何が何でも支援級とは思ってなくて、とりあえず入れてみて頑張れるならそれでOK。
どうしてもどうにもならなかったら、その時は迷わず支援学校へ って思ってる。
チャレンジさせてみたいんだよね。
それってダメなのかな?
確かに 先生の手を取らせるし、周りのできる子達には迷惑だろうな と思う。
でもそれも ”親の姿勢”で周りの(特に保護者の)受け止め方なり印象は変わるんじゃない? って言われると
そうかな、そうだよね って思えたりして。
先生に言われた
”理解できずにここにいても、頭の上を言葉が通り過ぎるだけ。
できないことは結局誰かに助けてもらったり、代わりにやってもらったりして終わり、自分でやったという達成感が得られない。
だから自信もつかない。お客さんで終わってしまう。”
って言葉も 確かにそのとおりなんだろう。
でも、それがすべて でもないんじゃないか そんな気がしてきた。
バンビは見通しが立たないことが苦手で、手先も不器用だから、最初からうまくできなくても無理もない。
でも、ルーチン(繰り返し)になるとできたりする。
つまりできるようになるには時間がかかるけど、できるようになったらちゃんとやる子なんだよね。
そんな息子の特性も 思い出すことができた。
(それが中学の支援級で 通用するかどうかはまた別として)
ま、とにかくママ友達の言葉は、私の”メンタルリセット”に 大いに力を貸してくれた。
本当に感謝。ありがとう。
就学って ほんと戦いだなぁ。(いや、戦わずして決まる人ももちろんいるわけだけど)
いや、就学だけじゃなく、発達に遅れや偏りのある我が子を抱えてこれから先も彼の人生を切り開くために
自分の想いや考えを整理して相手に伝わるよう言葉にしなけりゃならないのかも。
(ある程度大人になったら その役割は解放されるのだろうか? まぁその話は別として)
これって日頃から訓練しておかないとなかなか難しい。
そういう意味では ブログ書いてるのは私にとって非常に役に立つように思う。
自分のその時の想いを言葉に残しておくと、こうやって迷った時 自分を振り返ることができるから。
私が息子の中学就学にあたって大事にしようと思っていたことは2つあったんだよね。
→学校に求めるもの
1つは 本人の居心地。
これについては いまのところバンビは”勉強が簡単な方がいい”と思っているらしく
それだけを考えたら 支援学校になるんだろう。
でも友達と楽しく過ごせる環境はどっちだろうか?
で、もう1つは 年齢相応の生活。
花の中学生としての貴重な3年間を いろんな経験をして、失敗もして
「社会」の中で生きてほしい。
そこはブレないように 就学を進めていかなくちゃ。
時間はあんまりないけど、くじけずがんばるぞー。
メールはこちらまで → yakkoxhs@gmail.com