バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

ことばと差別の問題②

2008年02月08日 | suzuのメッセージ
前の記事の続きの話だけど
原稿の校正の時に、「障害」を「障碍」に置き換えると読めなくて意味がわからない人もいるだろうし、「障がい」とすると、例えば「発達障害」を「発達障がい」とすることになって日本語として違和感をおぼえるということを私が言ったら、他のメンバーに ”でもその違和感こそが問題提起や啓蒙になるんじゃないか”というようなことを言われて ちょっとなるほどと思ってしまった。

つまり、障害の「害」の字をあえて「がい」にすることで、そこに込められた意味や想いを考えてもらうことになるのじゃないかということ。
うーん、そういうのもありなのか...。

まぁそれはそれとして、やっぱり障害者だからというだけで差別されるということが世の中になくなれば、ほんとは言葉なんてこだわる必要もなくなるんだろうなぁ と思わずにはいられない。

でも、そういう私もバンビの親になるまでは、恥ずかしながら 身体障害者=気の毒な人、知的・精神障害者=何をされるか怖いから関わりたくない人 と思っていた。残念だけど、そういう人間がまさにメインストリーム(主流)なんじゃないかと思う。

なぜ障害があるというだけで差別されるんだろうか?
まぁスケープゴートを立てることで自分の優位性を確認したがるのは 人間の性(さが)というか業というか... そういうカンジなのか。
でもさ。

世の中医学が進歩して、そのおかげでかつては生まれてこれなかった、あるいは生まれてもすぐ亡くなってしまったであろう命が助かるようになった。
その分障害児の出生率は上がったりしてるんじゃないかと思う。

五体満足に生まれても中途障害者になる人はたくさんいる。
昔なら病気やケガで亡くなっていたであろう人(特に高齢者)が命を取りとめるようになったけど、たぶんその分身体のどこかに障害が残ったりする割合も増えているに違いない。
ストレスフルな社会で精神を病む人もいるし。

障害者を嫌って差別する人も、そういう自分や身内が明日障害者になる可能性も十分あるってことに 思いが至らないだけなんだろうね。
その”可能性”はきっと昔より大きくなってるはずなんだけど。

自分や身内が障害者だったら差別する気は起らないだろうから、”いろんな人がいて当たり前”って みんなが思える社会になったりしないだろうか? 逆説的?かもしれないけど。

ほんと、バンビが大人になる頃には どんな世の中になっているんだろうねぇ。

メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ことばと差別の問題 | トップ | 就学に向けて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

suzuのメッセージ」カテゴリの最新記事