喫茶 輪

コーヒーカップの耳

足立先生の跋文 2

2015-01-30 20:20:08 | 宮崎修二朗翁

『神戸文学史夜話』によせて  足立巻一
① 宮崎修二朗さんと知りあったのは戦後まもないころで、おたがいに大阪の新興新聞の記者としてでしたから、交友はもう二十年になろうとしています。その二十年間、宮崎さんもわたしも当然、年をとり、生活も思想もずいぶんかわりました。しかし、宮崎さんのわたしに対する友情はすこしもかわっていません。たとえば、わたしのヘタな詩を戦後まっさきに写真入りでデカデカと新聞にかかげたのも宮崎さんですし、忍術をこっそりしらべているのを探知して東京の出版社に密告し、一端を発表させたのもかれです。こんな事例はいっぱいありますが、いままた、かれの労作に一文を書けと強要してやみません。このわたしとの交友関係にあらわれた宮崎さんの錯覚と一徹な行動とに、わたしはいつも詐偽をはたらいているような罪悪感におそわれるのですが、ちかごろでは、こんなに無条件で買いかぶってくれる友を得ることは、人生でそうザラにはないものだとわかりはじめてきましたし、かれの錯覚にも感謝し、かれのいいなりになることにしています。そして、そこに宮崎さんの人間性もよくあらわれているように思うのです。 つづく


承前
② 宮崎さんは俊敏なジャーナリストです。そんな顔つきをしていますし、実際にそれだけの実績を持っています。しかし、根は無償の発掘者ではないかと思います。発掘者は山師ではありません。営々とガラクタを掘りつづけねばなりません。錯覚をおそれることなく、一片のガラクタにも愛情を持たないかぎり、発掘という営為も情熱も持続しません。おそらく、わたしもたまたまそのガラクタの一片として愛情をあたえられたのでしょう。じっさい、わたしのように、宮崎さんの周囲にはそのふしぎな友情を得たガラクタ――無名がじつに多いことをわたしは知っています。そんな宮崎さんだからこそ、地方文学史という無償の発掘作業を終生の仕事に選び、戦後一貫して推し進めてこられたのだと思います。 つづく

93歳の宮崎翁は今も、『環状彷徨』の加筆訂正を続けておられます。ここで足立先生が「終生の仕事…」と書いておられる通りのことが、50年後の今も続いているわけで…。
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足立先生の跋文

2015-01-30 18:15:36 | 宮崎修二朗翁
タイトルを「足立先生の跋文」としました。
けど、カテゴリーは「宮崎修二朗翁」に入れました。
その理由はこの後お読み頂ければお解かり頂けます。

宮崎修二朗翁の著書に『神戸文学史夜話』というのがあります。


昭和39年発行です。
これの跋文を足立巻一先生が書いておられます。
わたしのこの拙いブログを毎日読んで下さっている人に、一度その文章を読んで頂きたく、ここに転載します。
一度には大変なので、何回かに分けて。
足立先生、渾身の跋文だと思います。
わたしがなぜ、宮崎翁を畏敬し、足立先生を尊敬するかが解って頂けるかと思います。

神戸文学史夜話』によせて  足立巻一
① 宮崎修二朗さんと知りあったのは戦後まもないころで、おたがいに大阪の新興新聞の記者としてでしたから、交友はもう二十年になろうとしています。その二十年間、宮崎さんもわたしも当然、年をとり、生活も思想もずいぶんかわりました。しかし、宮崎さんのわたしに対する友情はすこしもかわっていません。たとえば、わたしのヘタな詩を戦後まっさきに写真入りでデカデカと新聞にかかげたのも宮崎さんですし、忍術をこっそりしらべているのを探知して東京の出版社に密告し、一端を発表させたのもかれです。こんな事例はいっぱいありますが、いままた、かれの労作に一文を書けと強要してやみません。このわたしとの交友関係にあらわれた宮崎さんの錯覚と一徹な行動とに、わたしはいつも詐偽をはたらいているような罪悪感におそわれるのですが、ちかごろでは、こんなに無条件で買いかぶってくれる友を得ることは、人生でそうザラにはないものだとわかりはじめてきましたし、かれの錯覚にも感謝し、かれのいいなりになることにしています。そして、そこに宮崎さんの人間性もよくあらわれているように思うのです。 
つづく

この文章が書かれてから50年以上の時が経っています。足立先生が亡くなられてから30年になります。けど宮崎修二朗先生は今もご健在です。そしてわたしはしょっちゅうお会いさせて頂き薫染を受けております。幸せなことです。


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夢のかけ橋

2015-01-30 12:19:18 | 本・雑誌
昭和40年発行の『神戸というまち』という本の巻末です。

想像図として合成写真が。
著者の陳舜臣さんは、この本を次のように締めくくっておられます。

 「この方が早いで…」
  と、得意げに海をひとまたぎした橋のすがたは、神戸のもつ、ややおっちょこちょいで あけっぴろげの性格と合理性を、そっくりかたちにあらわしたものになるはずだ。 
 何年さきになるかわからないが、夢のかけ橋は、きっと神戸の新しい象徴になるであろう。


書き写しながら、陳さんの文章にはひらかなが多いな、と思った。
これを書かれてから50年。
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若き市長

2015-01-30 08:00:36 | 日記
西宮市の若い市長、今村氏についての記事である。今朝の神戸新聞「正平調」。




論評は控えておきます。
わたしも少し考えてみます。

彼はわたしの息子とほぼ同年。
昨年、彼が市長に当選して間もない頃の話をしましょう。
地域のバスツアーの案内役をした時、何かの話のついでに、「彼はわたしの息子です。どうぞよろしくお願いします」と話しました。だけどすぐに「冗談です」と言っておいたのですよ。
ところが後に聞いたところでは、わたしを本当に市長の親だと思ってしまった人があったようでした。
人前で、しかもマイクの前では迂闊なことは言えません。
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