今年になって初めて逸見さんご来店。
「こんな詩をご存知ですか?」と言って差し出された紙片。逸見さんの字は、書きなれたいい字です。
ホーキング博士の詩である。
宇宙から見れば
人類の滅亡は
小さな惑星にできた
化学物質の泡が
消えた だけのこと。
でも
孫たちの未来が
あるか
どうか
私は憂う
「読んだことがあります」とお答えした。
「以前、逸見さんから教えて頂いたのではなかったでしょうか?」と言うと
「いや、そんなことはないと思います」と。
しかし、この詩は強く印象に残っており、多分逸見さんからのお手紙で知ったのだと思う。
で、今日はそこから話が発展し、わたしが逸見さんに
「こんな詩をご存知でしょうか?」と、
井上靖の「人生」という散文詩をパソコンでネットからお示しした。
人 生
M博士の「地球の生成」という書物の頁を開きながら、
私は子供に解りよく説明してやる。
――物理学者は地熱から算定して地球の歴史は二千万年
から四千万年の間だと断定した。しかるに後年、地質学
者は海水の塩分から計算して八千七百万年、水成岩の生
成の原理よりして三億三千万年の数字を出した。ところ
が更に輓近(ばんきん)の科学は放射能の学説から、地球
上の最古の岩石の年齢を十四億年乃至(ないし)十六億年
であると発表している。原子力時代の今日、地球の年齢
の秘密はさらに驚異的数字をもって暴露されるかもしれ
ない。しかるに人間生活の歴史は僅か五千年、日本民族
の歴史は三千年に足らず、人生は五十年という。父は生
れて四十年、そしておまえは十三年にみたぬと。
――私は突如語るべき言葉を喪失して口を噤(つぐ)んだ。
人生への愛情が曾(かつ)てない純粋無比の清冽さで襲っ
てきたからだ。
何か通じるものがあるような気がして。
この詩は、わたしがまだ詩というものに興味を持つ以前に感動した詩です。初めて読んだ時、胸震える思いがしたのでした。
ところで話はここからまた発展する。
逸見さんに関連する昔話をした。
≪この「人生」という詩は昔わたしが米屋をしていた頃、まだ独身時代のことですが、武田薬品の食品事業部の営業マンの人からプレゼントされた井上靖の詩集『北国』の巻頭詩でした。≫
とそんなことから話は進み、彼、武田の営業マン、西本さんとの話に。
12月のボーナスシーズンに入った日曜日に、彼に頼んで4トントラックにプラッシーというジュースを200ケース積んで来てもらって、うちのお得意先に訪問販売に行った。得意先の玄関先に二人で1ケースずつドンと置いて売り込みです。
「そんなん要らない」とおっしゃるが、。「クリスマスの準備に」と言うと、「ほんなら、せっかく来てくれはったんやから1ケースだけね」と言ってほとんどのお得意さんは買って下さった。中には2ケース買って下さる人も。
昼食はどこかの食堂で取って、一日中かけて回るのだが、車に積んで来てもらった以上、売ってしまわなければならない。少しは残っても残りは倉庫に在庫。
その後、クリスマスまでに消費してしまうお客さんから追加注文が入る。さらにお正月用にとよく売れたものだった。
わたしも若かった。「よく頑張ったですねえ。あのころが懐かしいです」と話したことでした。
ホーキング博士の詩から、話はとんだ方向へ飛びました。ちょっと”若き日自慢話”みたいになってお恥ずかしいが。
「こんな詩をご存知ですか?」と言って差し出された紙片。逸見さんの字は、書きなれたいい字です。
ホーキング博士の詩である。
宇宙から見れば
人類の滅亡は
小さな惑星にできた
化学物質の泡が
消えた だけのこと。
でも
孫たちの未来が
あるか
どうか
私は憂う
「読んだことがあります」とお答えした。
「以前、逸見さんから教えて頂いたのではなかったでしょうか?」と言うと
「いや、そんなことはないと思います」と。
しかし、この詩は強く印象に残っており、多分逸見さんからのお手紙で知ったのだと思う。
で、今日はそこから話が発展し、わたしが逸見さんに
「こんな詩をご存知でしょうか?」と、
井上靖の「人生」という散文詩をパソコンでネットからお示しした。
人 生
M博士の「地球の生成」という書物の頁を開きながら、
私は子供に解りよく説明してやる。
――物理学者は地熱から算定して地球の歴史は二千万年
から四千万年の間だと断定した。しかるに後年、地質学
者は海水の塩分から計算して八千七百万年、水成岩の生
成の原理よりして三億三千万年の数字を出した。ところ
が更に輓近(ばんきん)の科学は放射能の学説から、地球
上の最古の岩石の年齢を十四億年乃至(ないし)十六億年
であると発表している。原子力時代の今日、地球の年齢
の秘密はさらに驚異的数字をもって暴露されるかもしれ
ない。しかるに人間生活の歴史は僅か五千年、日本民族
の歴史は三千年に足らず、人生は五十年という。父は生
れて四十年、そしておまえは十三年にみたぬと。
――私は突如語るべき言葉を喪失して口を噤(つぐ)んだ。
人生への愛情が曾(かつ)てない純粋無比の清冽さで襲っ
てきたからだ。
何か通じるものがあるような気がして。
この詩は、わたしがまだ詩というものに興味を持つ以前に感動した詩です。初めて読んだ時、胸震える思いがしたのでした。
ところで話はここからまた発展する。
逸見さんに関連する昔話をした。
≪この「人生」という詩は昔わたしが米屋をしていた頃、まだ独身時代のことですが、武田薬品の食品事業部の営業マンの人からプレゼントされた井上靖の詩集『北国』の巻頭詩でした。≫
とそんなことから話は進み、彼、武田の営業マン、西本さんとの話に。
12月のボーナスシーズンに入った日曜日に、彼に頼んで4トントラックにプラッシーというジュースを200ケース積んで来てもらって、うちのお得意先に訪問販売に行った。得意先の玄関先に二人で1ケースずつドンと置いて売り込みです。
「そんなん要らない」とおっしゃるが、。「クリスマスの準備に」と言うと、「ほんなら、せっかく来てくれはったんやから1ケースだけね」と言ってほとんどのお得意さんは買って下さった。中には2ケース買って下さる人も。
昼食はどこかの食堂で取って、一日中かけて回るのだが、車に積んで来てもらった以上、売ってしまわなければならない。少しは残っても残りは倉庫に在庫。
その後、クリスマスまでに消費してしまうお客さんから追加注文が入る。さらにお正月用にとよく売れたものだった。
わたしも若かった。「よく頑張ったですねえ。あのころが懐かしいです」と話したことでした。
ホーキング博士の詩から、話はとんだ方向へ飛びました。ちょっと”若き日自慢話”みたいになってお恥ずかしいが。