店を閉めてから三宮図書館まで電車で。
予約していた本の準備が出来たとメールがあったので。
お借りしたのは『ただ一人立つ人間』(三浦清一・的場書房・1956年刊)。
石川啄木の妹の光子のご主人、三浦清一の生涯一冊だけの詩集である。作った詩は数百篇に上るということだが、詩集はこの一冊だけ。
序文を賀川豊彦と阪本勝が書いている。
これから、読む。
行ったついでにもう一冊お借りしてきた。
東秀三さんの『神戸』である。
これには「足立巻一」の一項が立てられているということを昨日知り読んでみたくなったので。
東さんは後に『足立巻一』という一冊の本も出しておられて、これは所持している。
東さん、その本を出されたあと、たしか「夕暮れ忌」で講演されたように記憶するが…。わたしの記憶力も落ちた。
東さんも亡くなられて久しい。時は容赦なく流れる。ああ。
語り師、竹崎利信氏から案内状を頂きました。
その梅津さん制作のアニメです。↓竹崎さんのコメントにより記事追加しました。
http://www.youtube.com/watch?v=MTFYoU_Aw6k
稀代の語り師、竹崎師の語りが入場無料で聞けるなんて。しかも、曳田宏という人の朗読との二本立て。
しかし、この日、私は既に予定が入っている。残念。
ちなみに、竹崎師は先日、宝塚市長肝いりの催し、「杉山平一さんを偲ぶ朗読会」で杉山先生の詩を朗読されたのでした。
昨日の朝だ。
カウンター席に座る町の社長、牛山さんに電話が。
ケータイで答えている。どうやら取引先から。
「今パソコンが故障していて…。直ったらまたメールで送ります」と。
ということで、下駄さんを紹介しました。
で、今日もう解決しました。
下駄さんお見えになって、「面白い人ですねえ。カミナリが家の中に落ちまくっとる、て言うてはりました」と。
カミナリとは山の神です。
で、来て頂いたついでに最近調子の悪いわたしのパソコンも調整してもらいました。これは無料で。下駄さん、ありがとうございます。
「啄木の妹・下」だが、急遽追加原稿を書くことになり、草稿まで書いた。しかし、一回当たりの字数は限られている。もう一回、11月号に「啄木の妹・補」とするしかないのかと思ったが、できれば一挙に掲載したい。で、編集長に、なんとかならないか?と昨日メールでお願いしていた。今日、返事があった。2ページ増しOKと。良かった。決定稿までに、もう一冊読んでおきたい本がある。ネットで探したが、高価すぎて手が出ない。で、図書館を検索した。西宮にはなくて、神戸の中央図書館にあった。大倉山まで行くのは大変なので、三宮図書館に借りに行けるように予約した。なんとかいい原稿を書きたいものである。が、わたしの書くものは地味なもの。それでいいのだ。
お盆休みを10日間頂いて、今日から再開。
去年の今頃は、「喫茶・輪」廃業に向けての話を進めていたのだった。
「閉店のご挨拶」なるものを、常連客のみなさんにお配りし、「ただし、クールダウン期間として、しばらくは形態を縮小して営業は続けます」ということだった。
で、盆前に定食の提供を終了。盆明けからは定食なしで、コーヒーなどソフトドリンクと、カレーなどの軽食のみにし、しかも昼食終了後(2時頃)には閉店ということにしていたのだった。
ところが、お客様の中に「俺が定年退職するまで頼むわ」とか言われて、毎日来てくださるお客様数人の定食を準備してこれまでやって来たのだった。
で、今日も10食程度の定食を(ちなみに今日は豚肉生姜焼き)提供したのでした。
さて、こんな調子でいつまでやるのでしょうか?
今日は早朝から隣りのお地蔵さんの大掃除。そしてテント張りなど24日の地蔵盆に向けての準備。隣保総出でやりました。
こんなことをしているのは、都会では最近無くなってきましたね。けど、この隣保はなんとかまだ続けています。しかしこれもいつまで続くでしょうか。わたしがやめれば、後を託せる人がありません。近くの地蔵さんも次々と世話をする人がなくなって、お祭りをする所が急激に減っています。
と、そんな忙しい合間を縫って今日は原稿を書きました。「啄木の妹」を補完するためのもの。約2000字。まだ草稿です。
昨日書き上げた10月号のための原稿に、書き足したものです。なんとか、2ページ余分にもらえないかなと思って急いで書きました。
ページ増しを編集長にメールでお願いしました。今日は編集部はお休みなので明日返事があるでしょう。
隣に大きな地蔵さんがある。「小墓圓満地蔵尊」である。
この境内の敷地が結構広くて40坪もあるだろうか。町の地蔵さんとしては大きい。
これの地主が二人の連名で登記されている。そのお一人が大村利一氏。もう亡くなられて27年になる。わたし一度かニ度電話でお話しさせて頂いたことがあり、丁寧なお手紙も頂いていて大切に保存している。
大村氏は元椿本チェンの社長会長を務めた人。椿本といえば一流企業である。
この利一氏と私との関係をここに書くには大変。
今回の地蔵祭を迎えるに当たって、利一氏のご親族宛に案内状とお手紙を差し上げた。
その手紙には、この大村さんと、うちの娘婿の家、大村家がどうやら縁があると最近になってわかったいきさつを書いた。
今日、返事が来た。
驚いた。利一氏は27年前に亡くなっておられる。まさか奥様がお元気でおられるとは思っていなかった。表書きの字はしっかりした素晴らしい字である。女名前だったので、きっと息子さんのお嫁さんかと思った。
ところが手紙を読んでみるとこれが利一氏の奥様だった。見事な字でしっかりとした文章である。中に「わたしも卒寿」と書いてある。90歳なのだ。
そして、うちの娘婿に「よろしく」と。「播州に出て来た時の分かれかとも存じますが、思いがけぬご縁がありますようで…」と。
世の中には、ほんとに不思議な縁があるものだ。
大村利一氏とは言うまでもなく『西宮物語』の著者である。
買い物に出かけようとしたら、高校野球を中継していたTVが雷のため野球中断と。
その時まだ雨は降っていなかったが、その後降り出し、どうやら大雨の気配。
で、買い物に出かけるのを躊躇して中断中のTVを見ている。
今、この用海町の上空も雷鳴すさまじく出かけられたものではない。
甲子園とここはわずか2~3km。
水はけのいい甲子園球場グランドにも水たまりが出来始めている。