◎ニライカナイからの手紙(2005年 日本 113分)
staff 監督・脚本/熊澤尚人 原作・プロデューサー補/堀込寛之
撮影/藤井昌之 美術/花谷秀文 音楽/中西長谷雄
主題歌/永山尚太『太陽ぬ花』作曲:織田哲郎
cast 蒼井優 平良進 南果歩 金井勇太 かわい瞳 比嘉愛未 中村愛美 前田吟
◎八重山諸島、竹富島
題名がすべてを物語っているから、メモを取っておくこともないだろな~、
とかおもって観たんだけど、途中で「ん?」とおもった。
「あれ?ニライカナイって、黄泉の国のことだよね?」
話は、ごく単純だ。
東京へ行ってしまったまま帰ってこない母の南果歩から、
毎年、娘の蒼井優のもとへ誕生日に手紙が届く。
母親が家を出ていった理由については20歳の誕生日に送る手紙に書くとある。
そんなことをいわれても6歳の娘にはよくわからないし、
長ずるに従い、母親のいなくなった理由を知りたくなるのと同時に、
母親にも腹が立つし、郵便局長の祖父にも腹が立ってくるようになる。
すでに他界した父親の遺品のカメラをいじっている内にカメラマンを希望し、
やがて祖父の反対をおしきって上京するんだけど、
まあそれは母親がいるにちがいない東京へ行けば、
もしかしたら母親に会えるかもしれないという漠然とした希望もあった。
けれど、唯一の手掛かりは消印の捺された渋谷の郵便局だけで、
そんなところへ行ったところで何もわかるはずはないんだけど、
実はこの郵便局に秘密があり、
そこの局長の前田吟はどうやら蒼井優を知っているらしい。
このあたりで、おおくの観客は「なるほど、そういうことね」と気づくんだけど、
ニライカナイの意味を知っているぼくらは「ようやくか」とおもってしまうんだ。
ま、結論からいえば、母親は不治の病で、すでに他界しており、
郵便局長だった祖父の案で、
蒼井優が二十歳になるまで毎年、誕生日に手紙が届くように書けといわれ、
病床の母親は気力をふりしぼって愛情のこもった手紙を書き、
その手紙を渋谷の郵便局長が投函し、祖父が届けるということにしていた。
だけでなく、どうやら、島のひとびとはみんながその事実を知ってるようで、
誰もが蒼井優の成長を見守り、母親はとうに死んでしまったにも拘わらず、
彼女の中だけでは生き続けているようにしてくれていたらしい。
こうした事実が語られてきたとき、
「あ、そういうことだったのか」
と、ようやくわかった。
自分のあほさと単純さと早とちりさが、身に沁みた。
ニライカナイについて、もう一度、考え直した。
そもそもニライカナイは、琉球のはるか東にある異界で、
神の国でもあるとともに、死者の国でもある。
ニライは根の国を意味し、カナイは彼方を意味する。
だから、彼方にある根の国、つまり、東の海の中にある黄泉の国なわけだ。
要するに、あの世だ。
でも、ここの神は年の初めにやってきて、年の終わりに帰るんだけど、
そのとき、琉球に豊饒をもたらしてくれる。
だから、そこから手紙が届けば、当然、母親は死んだんだな~とおもうし、
あの世からの手紙ってタイトルはそのままじゃんっておもうんだけど、
実は、そうじゃない。
「あ、そういうことだったのか」
とおもったのは、ニライカナイの持っている意味の深さだ。
ぼくたちのよく知っている昔話では、海の底にあるのは龍宮で、
それはいいかえれば、理想郷とか楽土とかいった意味を含んでいる。
単なる死後の世界つまりあの世っていうわけじゃない。
たしかに母親は死の寸前に手紙を書いたから、
その手紙が以後14年間にわたって届くとき、母親はすでに死んでいる。
なるほど、あの世から届けられる手紙に間違いはない。
でも、この手紙が娘のもとまで届くためには、
渋谷と西富島の郵便局員たちの協力がなければならない。
また、島のひとびとのあたたかく見守る心がなければならない。
たったひとり残された蒼井優の心を守るために、みんなが一致団結した。
そうした心は、美しい。
この美しい人々のいる国こそが、理想郷であり楽土であるといえるんじゃないか。
しかも。
舞台になってる竹富島には、
旧暦8月8日に、ユーンカイ(世迎え)という神事がある。
西海岸のニーラン石の所で、
ニーランの国から船に五穀豊穣を積んでくるニーランの神を迎える。
つまり、ニライカナイがきわめて色濃く残された島っていうことになるよね。
「やられたな~」
と、ぼくはおもった。
この映画が感動的なのは、
なにも、死の床についた母親が手紙をしたためるということではなく、
また、その健気なひたむきさに娘が衝撃を受けるということでもない。
島のひとびとと郵便局の無垢な愛情をしみじみと感じ取れることだ。
だから、この作品は好い。