◇おおかみこどもの雨と雪(2012年 日本 118分)
staff 原作・監督/細田守 脚本/細田守、奥寺佐渡子 キャラクターデザイン/貞本義行 美術監督/大野広司 衣装/伊賀大介 劇中画/森本千絵 音楽/高木正勝 主題歌/アン・サリー、作詞:細田守、作曲:高木正勝
cast 宮崎あおい 大沢たかお 菅原文太 染谷将太 林原めぐみ 谷村美月 春名風花 麻生久美子
◇富山に行きたい
いまさら筋立てをうんぬんするのもなんだから、やめとく。
で、観てて、なんとなくおもったのは国立に行ってみよかな~と。一橋大学って東大とならんで大学の校舎の見本みたいなところがあるじゃん。だからこの際、出かけてみてもいいかなと。そんなことおもってたら、富山にも行ってみたいな~とおもえてきた。劇中、花とこどもたちが棲むことになる古民家は、富山にあるらしい。雪が暮らしていくであろう山も富山だそうな。富山地方鉄道の上市駅にある観光案内所を訪ねれば、たいがいのことはわかるんだそうな。へ~ておもった。いまや、この国の観光は、アニメを中心に回ってたりするんだろか?
たしかに、映像はたいしたもんだ。
チングルマとかの花々や雨やら雪やらといった自然の景色はほんとうによく描けてるし、溜め息が出そうになる。でもさ、これは主観の相違だからなんともいえないんだけど、貧乏女子大生の花はいったいなんのために大学に通ってたんだろね。ぼくが見落としてるのかもしれないけど、将来はこんなことをしたいとか、こんなふうになりたいとか、そういう夢や憧れみたいなものはあったんだろうか。どうもそれがいまひとつわかんないんだよね。それともうひとつ、花は実家っていうか故郷に帰れない事情があったんだろうか。彼女の大学生になるまでの暮らしぶりがまるで見えてこないのはなぜなんだろう。
それは花の相手の狼にしてもおんなじことがいえるんだけど、なんで都心に出てきてたんだろう。国立はたしかにいいところだけど、ふたりが暮らし始めるのは善福寺川の流れてる西荻あたりらしく、吉祥寺とかとなりだし、けっこうな都会だ。日本狼の末裔ならもっと山奥にいて、人里には近寄らないんじゃないかなと。実際、雪は野生にめざめて山へ入っていくわけだしね。
おそらく、ぼくがおもうに、彼は人狼の村から都会に憧れて出てきた青年なんだろう。なんだか手塚治虫の『バンパイア』みたいだけど、彼の生まれた村には、どちらかが人狼の両親がいて、おおかみこどもの兄弟姉妹がいて、やっぱり誰か人狼の祖父母や曾祖父母やらがいないと、とてもじゃないが血脈を維持できない。どういう血脈になってるのかわからないんだけど、人狼の一族はともかく年頃になると人里におり、人間あるいは人狼と出会い、子孫をつくるのが慣習になってるのかもしれないね。そうじゃなければ、彼が国立に現れることはできない。
ただ、ぼくは『美女と野獣』とか観てもおもうんだけど、女の人って凄いな~と。相手は、人狼だぜ。それも、まぐわうときには狼になってるわけで、劇中もそういう画面になってるけど、いや、まじめな話、いくら好きでもぼくにはできない。そんな無粋なこというんじゃねえよとかって怒られそうだけど、観てる最中からそれは気になってた。こういう人間はファンタジーは観てはいかんのかもしれないが、観ちゃったものは仕方がない。つまりは、花も狼も過去がよく見えず、花については将来もよく見えない。そのあたりはわざとぼかしてあるんだろうけど、ぼくみたいに気になっちゃう人間もいたりする。
ところで、花を観てると、アニメっていうか、漫画にもよく登場する、ファン層にとっての理想的な女の人ってこんな感じなんだろかっておもえてくる。いや、ぼくは昔からこういう健気な女性は嫌いじゃない。常に朗らかで無心で無欲で、つよいお母さんになっていこうってする女性は、好きだ。いや、好きだった。というのは、けっこう、気が強いし、頑固だし、わがままじゃない?かと。なんかね、アニメ・キャラの普遍さを感じちゃうのよ。
ま、そのあたりは余談。
この作品を観ててもうひとつ感じたのは、差別っていう主題だ。
人間は差別をする生き物だ。肌の色、民族、宗教、偏差値、もうありとあらゆるものが差別になる。
ましてや、人狼なんてのは忌避される骨頂のような存在だから、当然、人里はなれたところで子供を育てたいとおもうだろう。つまりは、差別されるおそれのある人間関係っていうめんどくさいものから避難したっていうことになる。この捉え方っていうか受け取り方が正しいとはおもわないけど、ともかく花と子供は引っ越した。ほんとなら父狼の生まれ育ったところに行けばいいのに、それは話してもらえないうちに死んじゃったってことなんだろか。ま、それはいいとして、人間は差別されない世界に棲みたいと願う。人狼と交婚して、おおかみこどもを産み落とした女性としては、自分だけでなく子供たちもまた差別の対象とされるおそれがある以上、できるかぎり正体のばれないところに棲むしかない。このあたり、明るさと朗らかさに包まれてはいるし、自然の中ですくすく成長していくさまを見ることができるから、なんとなく素通りできちゃうんだけど、視点をちょっとずらしてみるとかなりつらいものがある。こどもたちは自然はあるけど都会はなく、不便さはあるけど便利さはなく、さまざまな動植物とは分け隔てなく接することができるけど、いろんな人間どもとは腹を割って話せないし、恋愛についても草平のような理解者が現れないかぎりままならない。だから、雪は山へ入らざるをえなかったのかもしれないね。
つらいなあ。
ぼくがこの作品で感じたひとことは、それだった。