△L.A.大捜査線 狼たちの街(1985年 アメリカ 116分)
原題 To Live and Die in L.A.
staff 原作/ジェラルド・ペティーヴィッチ『L.A.大捜査線』 監督/ウィリアム・フリードキン 脚本/ウィリアム・フリードキン、ジェラルド・ペティーヴィッチ 撮影/ロビー・ミュラー 音楽/ウォン・チュン
cast ウィリアム・L・ピーターセン ウィレム・デフォー ジョン・パンコウ ディーン・ストックウェル
△主人公の不在
いったい、フリードキンはなにがいいたかったんだろう?
所詮、この世には善悪なんてものはなくて、みんな同じ穴の貉だとかいいたかったんだろうか?
偽札をつくる人間も、それを追いかける人間も、弱みを握られて警察に協力する人間も、色香に騙される人間も、どいつもこいつもみんな性悪にできてて、最後には自分の欲望にのみ忠実に行動する。人間なんてそんなもんさっていう諦観を投げかけようとしたんだろうか?
たしかに、さすがはフリードキンとでもいえるようなカーチェイスはあるし、銃撃戦も同様だ。地に足のついたアクションであることは疑いないんだけど、どうもね~ウィリアム・L・ピーターセン演じる主人公の立場もいまひとつよくわからない。シークレットサービスとかいっているんだけど、どうも財務省の査察官みたいな感じだし、捜査の仕方を観てるとFBIなのかロス市警なのかてな感じに見えてきたりするのは、たぶん、ぼくがアメリカの警察機構について熟知してないからだろう。
ただまあ、いずれにせよ、偽札犯を追いかけるというよりは、この作品で名をあげたウィレム・デフォーに相棒を殺されたことへの復讐といった雰囲気が濃い。
つまりは個人的な復讐劇に徐々に変わっていくわけで、ウィリアム・L・ピーターセンの利用できるものは保護観察中の女だろうが同僚だろうがおかまいなしだし、さらには強盗だって人殺しだって同様だ。なんでここまで突っ走るのかわからないくらいなんだけど、こういう暴走していく人間の末路をフリードキンは容赦なく用意している。ロッカールームの狭苦しい空間で銃撃戦が始まるのかとおもいきや、一瞬にしてピーターセンの顔面が鮮血に染まる。顔を撃ち抜かれて即死するからで、いったいどこの世界の映画にクライマックスまでひっぱった主人公が一発で殺されるんだいって話だ。
でも、こういう信じられないようなリアルさを、フリードキンは求めたんだろうけど、まあ、この作品には思い入れのつよいファンもいるようで、世の中、ほんとに好き好きなんだな~って気がするわ。