◇ザ・ゲスト(The Guest)
マイカ・モンローの美脚くらいしか観る価値はないんじゃないかっておもえるくらいな陳腐さなんだけど、まあこれでいいのかもしれないね。
陸軍の実験の被験者が脱走して、死んだ仲間の実家に逃げ込み、家族を守ろうとしたのに守りきれなくて皆殺しにしちゃうしないじゃんて展開になるんだけど、なんだやっぱり、異常者だってことじゃんって映画になってた。なんだかね。
◇ザ・ゲスト(The Guest)
マイカ・モンローの美脚くらいしか観る価値はないんじゃないかっておもえるくらいな陳腐さなんだけど、まあこれでいいのかもしれないね。
陸軍の実験の被験者が脱走して、死んだ仲間の実家に逃げ込み、家族を守ろうとしたのに守りきれなくて皆殺しにしちゃうしないじゃんて展開になるんだけど、なんだやっぱり、異常者だってことじゃんって映画になってた。なんだかね。
☆ゼロ・グラビティ
アルフォンソ・キュアロン、凄いわ。
エマニュエル・ルベツキの撮影も、凄い。いや、ほんと、これどうやって撮ったんだろってくらい、凄い。まあいろいろと想像できるし、事実を誰かに講義してもらいたいくらいだけど、といっても今さらカメラマンになるわけじゃないしなあとかっておもいながら観てた。
ジョージ・クルーニー、人間人工衛星になっちゃうんだろうかって心配してたら、いきなり、窓をどんどん叩いて、復活したかとおもえば、さっさと扉を開けて(まじか)入ってくるなり「これが奇想天外なんだ」とかいいながら、まえに振っておいた「ウォッカを隠してあるところ」から瓶をとりだすとかして(やっぱり伏線じゃんね)とかおもわせて、いやまじ、着陸の逆噴射で飛べとかいう啓示を与えて、サンドラ・ブロックの娘のところへひと足先に行っちゃうとかって、好い役じゃん。こりゃあ、出番が少なくても出なくちゃだわね。
でも、ほんと、ふたりともこの演技は大変だったろうに。
◇テレフォン(Telefon)
森は美しく暗く深い。
だが約束を果たして眠りにつくまで、道はまだ遠い。
忘れるな、○○、眠りにつくまで、道はまだ遠いのだ…
とかっていう朗読の最初の2行が、ロバート・フロストの詩『雪の降る夕方、森へ寄って』の一節なんだそうで、この○○に名前を加えて薬物催眠を作動させるっていう話なんだけど、当時、なんだかえらく興奮したのをおもいだす。ドン・シーゲルってヒット・メーカーだったんだね。
この時代、悪者をソ連にしたいんだけど、あからさまにそうするわけにもゆかず、結局、ソ連の意図したところとは別なテロが起きようとするのをソ連の将校が、ここではチャールズ・ブロンソンだけど、かれが未然に防ごうとするっていう生みの苦しみを持った物語なんだよね。
◇ビッグ・アイズ(Big Eyes)
裁判が始まったとき茶番劇が耐えられなくなった。さっさと絵を描かせれば済むことでそれまでの時間が実に無駄だったわ。裁判長のいうとおり、吐き気がこみ上げてきた。
どうも、ティム・バートンの作品は相容れないことが多いな。エイミー・アダムスとか嫌いじゃないんだけどな~。
◇夜の訪問者(De la part des copains Cold Sweat)1970年
チャールズ・ブロンソンのクラッチ&アクセルだけで10分近く見せる。連れてきた医者は無用だったものの、草を燃やして追っ手を食い止めるとか、ライターで火がつくかどうかはともかく凄いわ。佳境、外人部隊の元傭兵はいう。
「今を楽しめ、人生は短い」
◎ゴーン・ガール
デヴィッド・フィンチャー凄いわ、とおもうのと同時に、なんだか後味が良くないなあっていう感想も浮かんでくる。
ロザムンド・パイクには理想とする夫婦像があり、そこに介在しているのは恐ろしいほどの自負と高慢さなんだけど、それがベン・アフレックの浮気によって粉々にされ、自分を殺したという疑惑で死刑にまで追い込んでやろうっていう復讐劇を企むとか、もはや異常の極致だわね。
でも、これに対してベン・アフレックと双子の妹キャリー・クーンとが抵抗して逆襲に転じようとするところからおもしろくなってくるんだけど、でも、過去のロザムンド・パイクのプライドを守るためのとんでもないひとりよがりの悪事が露見してくるだけで、逆襲たりえないあたりからちょっと不満をおぼえるようになってきた。
後味の悪さってのは、冷凍精子の人工授精で妊娠するという荒業まで繰り出され、屈服するしかないってところまで追い込まれちゃうことで、どうもなあ。
◇メイドインアビス
アビス産のアンドロイドのレグとアビスに生まれたメガネの少女リコとのアニメーションなんだけど、なんかつらいね、いろんな意味で。
◇アサインメント(The Assignment)
煙草の火をわざわざ吹いて大きくする演出はなんだよっておもってたけど、なるほど、蜘蛛を焼き殺すかどうかってことなのね。けど、それならドナルド・サザーランドまでおんなじことをする必要もないんじゃないかっておもうけどな。
エイダン・クインのテロリストのなりすましから始まり、本人による本人の証人保護プログラムの芝居なわけか、なるほど。
◇マリオネット・ゲーム
嫁クローデット・ミンクを寝とられた夫ピアース・ブロスナンが、嫁の不倫相手ジェラルド・バトラーの娘エマ・カーワンディをさらって殺すと脅し、ジェラルド・バトラーとその妻マリア・ベロを連れ回して因果を含め、とどのつまりそいつの手でマリア・ベロを殺させようとする話なんだけど、もちろん、出だしはそんな裏話はわからない。
でも、なんか個人的に怨みっぽいな~ていうのと、なんで夫婦そろって行動させるんだろうっておもう内に、あれ、この妻が裏で糸を引いてないか?てな疑問が浮かんでくる。
なるほど、ちょっとずつ小出しにしてくるところは、巧く作ってるね。でも、浮気の報復とか、あまりにもちゃちい動機だな。
◇クロノス(La invención de Cronos)
さすがにギレルモ・デル・トロ作品だけあって、ひとりひとりの人物設定やひとつひとつの場面、ことに火葬場で燃やされる瞬間にいつのまにか蘇生して空の棺が焼かれ、復活が秘匿されることになるところとか、実におもしろく描かれてはいる。
いるものの、どこかテンポが遅い。
アウロラという孫娘タマラ・サナスが救いで、でなければ400年前に作られた生命蘇生機械虫による爺いロン・パールマンの吸血鬼誕生物語にしかならず、より退屈なものになっちゃっただろう。
◇ジョーズ2
出だしはあかんとおもったけど、途中はまあまあ。
でも、予算がないのか、ヨットの若造どもが悲鳴をあげて逃げ回るのが長過ぎる。
途中、海底電線が伏線になるんだけど、まさか噛みつくとかかな~とおもってたらまじそうなった。
あ、高校時代に見たのをおぼえてたのかもしれないんだけど、まあ二度観るものでもないか。いや、もしかしたら、二度や三度じゃないかもしれないな。それくらい『ジョーズ』は昭和の時代には日常のどこかに存在してた。
◇魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語
冒頭30分のイメージビデオのような苦痛と戸惑いが終わってようやくほむらちゃんのなんかおかしいっていう疑問から物語が展開する。長過ぎるわ、ここまで。
で、ほむらちゃんは悪魔になってしもたの?
天使と悪魔の物語なの?
◇スターリンの葬送狂騒曲
1953年、ヨシフ・スターリンが急死したときの後継ぎ争いのどたばた滑稽劇なんだけど、こんなふうだったのかどうか、ぼくは知らない。たぶん、焦りまくっていたところはそうだったんだろうけど、心模様はどうあれ、もっと神妙な顔をして粛々と進められていったんだろう。
それにしても、ニキータ・フルシチョフ役のスティーブ・プシェミなんだけど、若い頃は怪優っていう仇名がぴったりの怪物みたいな顔をした個性派だったのに、年を食うにつれてどんどん普通のおじさんになっていくな~。
ま、日本では絶対に作れないわね。その価値はまちがいなくある。
☆アラビアのロレンス
アカバに続くナフド砂漠の碍子は黒い。
休憩のあとがつまらんな~。途端につまらなくなるのは錯覚だろうかっていつもおもうんだけど、やっぱり、何度観なおしてもつまんなくなる。ロレンスの変容と狂気に得心がゆくような脚本になっていないからじゃないかなあって気がするんだけど、どうなんだろう?
トルコ軍に捕まって拷問と暴行を受けるのはいいとしても、そこにいたるのがわざわざ捕まりに出かけてるような捨て鉢な行動になってて、これがどうにも納得できない。もうすこしアラブの統合に理想を抱き続ける方がいいかな。だからこそ民族会議の破綻が衝撃的になるわけだし、ロレンスの復活の際もロレンスが金をばらまいたのがどうも物語としては裏切られ感が強すぎていけない。
とどのつまり、甘ちゃんの見る映画じゃないぞってことかしらね。
◇レッドサン
三船さん、制作も兼ねてるのね。
何度目かわからないけど、今回は案外おもしろかったわ。
三船敏郎がいかにも豪傑のような雰囲気なのに、露天風呂に入ろうとして裸になったときの胸板の薄さがなんともかわいそうな気がした。でも、三船敏郎はがんばってる。日本の時代劇を背負ってきているっていう覚悟だったんだろう、とにかく必死になって武士道の権化になろうとしてた。そういう姿勢はよくわかるし、使命感のかたまりになってたんだろうなあって想像もできる。その分、自然な演技のチャールズ・ブロンソンには負けちゃうし、花を添えたアラン・ドロンにも一歩先を行かれてる感じがしちゃうかな。