◇今夜、ロマンス劇場で
ファンタジーてのはこういうもんなんだろうけど、そうか、京映は倒産するのか。宇津井健の映画が上映されてたからもしかしたらとおもってたら、やっぱり、大映だったのね。足利東映の最後も観られたし、加藤剛の遺作て聞くとなんだかしみじみしちゃうわ。
けど、綾瀬はるかの台詞は、再考の余地ありかな。
◇今夜、ロマンス劇場で
ファンタジーてのはこういうもんなんだろうけど、そうか、京映は倒産するのか。宇津井健の映画が上映されてたからもしかしたらとおもってたら、やっぱり、大映だったのね。足利東映の最後も観られたし、加藤剛の遺作て聞くとなんだかしみじみしちゃうわ。
けど、綾瀬はるかの台詞は、再考の余地ありかな。
◇アウトロー(One Shot)
ちょいと、テンポが悪い。
けど、無実の連続狙撃犯を救うのはよく考えてある。イラクで25万発の狙いを定めて撃ってないストレスというのはよくわかるたとえだったわ。雨の中、追い詰めた真犯人となんで殴り合うのか意味わからんのだけど、まあ、トム・クルーズのファンは満足できただろう。
△キャスパー(Casper)
ダン・エイクロイドの突然の登場はうけた。つか、イーストウッドもメル・ギブソンも。
幽霊研究の親父とおとなびた娘の指切りげんまんがあるんだけど、もともとアメリカのものなのかな?
でも、映画はつまんないな。
◇ポンペイ(Pompeii)
わからないのは、紀元79年のロンドニウムの闘技場に紙の傘をさした観客がいたことで、こんな古代ローマには不似合いな傘は作れないんじゃないかっておもうんだけど、それはぼくの歴史認識が乏しいってことなんだろう、たぶん。
ま、それはそれとして、物語はほぼ常道だ。定番といってもいいんだけど『グラデュエータ―』と『スパルタカス』を足して割ったような筋立てで、ケルトの騎馬民族が叛乱をおこして鎮圧されたときにたったひとりだけ生き残った子供が17年後に奴隷あがりの戦士になるっていうのは、つまり、英語を話してもおかしくない設定ってことからなんだろうか。
監督のポール・W・S・アンダーソンは『バイオハザード』から一連のCG活劇を撮ってきたから、なるほど、古代ローマの物語もびんびんCGが入るんだね。ただ、ありきたりで、どことなく思慮深さが足りないように感じるのは、なんでなんだろう?
総じて役者は若いね。ローマの元老院議員を演じたキーファー・サザーランドがぎりぎり壮年で、キット・ハリントンもエミリー・ブラウニングも若さばかりが先行して古代劇にはちょっと似合わない。
この題材はどうしてもベスビオス火山が噴火してポンペイが埋もれていくところが佳境になるわけで、観客もそれだけを観に行くようなもので、となれば、この噴火を臍にして物語を作ればいいのに、なんか剣闘士の恋物語になっちゃってるのはどうもね。拍子抜けしちゃうのかもしれないね。
あ、それと、津波が起こるんだけど、ベスビオス火山のせいで津波って起きたんだろうか。考古学的な裏づけがあるならいいんだけど、でも津波が起こったらポンペイの中のものは根こそぎ持っていかれちゃわないんだろうかって気もするんだけどなあ。
◎マッドマックス 怒りのデス・ロード
ちから、入ったわ~。
前半というより前編、フェード・アウトするまで「砦」から「緑の地」を求めて逃げるってだけの話で、この追撃戦の迫力といってらない。
独裁者ヒュー・キース・バーンの愛人5人をつれて脱走するのがかつてさらわれてきたシャーリーズ・セロンなんだけど、いや、ほんと、彼女は凄いね。色気からいえば、女優というよりモデルの愛人5人の方が遙かにあるんだけど、いや、演技はもちろん、貫禄といい、知的さといい、申し分ないところへ、なんといっても運動神経の凄さといったらない。ただ、なんといっても凄いなっておもうところは、登場したときの隈塗りもさることながら、丸坊主にして左手はターミネーターみたいな義手にしてて、義手が外れたら片腕でも戦うっていう根性だ。邦画で、彼女に匹敵するのは誰なんだろう?
ジョージ・ミラーはもはや『マッドマックス』のシリーズを撮るために監督稼業を続けてるような感じだけど、まあどうだろう、2作目あたりから英雄譚に傾斜していくんだよね。でも、それは『サンダードーム』で完結したんじゃないかっておもってたら、なんとまあ、ここではマックスは脇役だな。トム・ハーディは上手に役をこなしてて、佳境、環境汚染で失われた「緑の地」から「砦」へ引き返し、奴隷の解放と理想の国づくりに入るのは、シャーリーズ・セロンなんだよね。物語としてはそうなっていくよりほかになくて、マックスは単なる通りすがりの用心棒でしかないわけで、だから、最後も「あばよ」って感じで去らないといけない。マックスの内面はもう語られちゃってるから、こうなるよりほかになんだろうなあ。
☆ファーザー(The Father)
なるほど。養老院か老人ホームかはわからないけど、アンソニー・ホプキンスがフラットって呼んでるところの暗示だったわけね。痴呆っていう言い方はなくなってきたとかいうけど、老人ぼけって言葉はどうなってるんだろう。ま、それはさておき、ここまで幻覚ってひどくなるんだろうか?
過去と現在が同一線上におもえてきちゃうってのはなんとなくわからないでもないし、子供化しちゃうこともあるかもしれない。でも、完全な幻覚の世界に入り込んじゃうこととかあるんだろうか?
日本でも『恍惚の人』とか『花いちもんめ』とか『長いお別れ』とか『ぼけますから、よろしくお願いします』とかいった映画が撮られてるけど、いやもう、昭和の時代から痴呆症は世界的な病だね。でも、なんというのか、ぼけたからどうだっていうんだ?っていう主題ではないんだよね。ぼけに対して、ぼけてゆく人間あるいはぼけてしまっているかもしれない人間の考え方や行動をもう少し主観的な捉え方があってもいいんじゃないかって気はする。
たしかに、アンソニー・ホプキンスはうまい。みごとな演技で、エンジニアだった知的な父親が痴呆になっていったときの我が儘とか不安とか暴力的な言動とかまあいろいろあるし、それらを上手に出してくるし、身のこなしが実にうまい。パリに行っちゃう娘オリヴィア・コールマンや、幻覚の娘として最初に登場して観客を混乱させる看護人のオリヴィア・ウィリアムズや、婿だとおもったら実は医師だったマーク・ゲイティスも、ほんとは娘のはずが介護人として登場してくるイモージェン・プーツも、みんな上手なんだけど、でもまあ、アンソニー・ホプキンスは際立ってるね。
◇コンスタンティン(Constantine)
ほお。この監督フランシス・ローレンスって『ハンガー・ゲーム』の監督なのね。で、これがデビュー作だなんて、とてもそうはおもえない。けっこう熟練した人が撮ったんじゃないかって気がしたんだけどね。まあ、だから、肺がんなのに煙草を喫い続ける主人公っていう設定を観たりすると、どことなく青臭い突っ張った感じがあるのか~って納得はするけど。
まあそれにしてもこのハーフ・ブリードっていう現世と天国と地獄をつなぐ役割をもった人間のかたちをした連中っていう設定は上手に作ったもんだとはおもう。で、人間でありながら死にそうなためかハーフ・ブリードになってる悪魔祓いのキアヌ・リーブスをはじめ、ほかの役者たちなんだけど、いやいやいや、ごひいきの人達ばかりなんだよ。
刑事とその妹で精神を病んでる妹のレイチェル・ワイズ、天使側のハーフ・ブリードのティルダ・スウィントン、キアヌの運転手のシャイア・ラブーフ、悪魔サタンのピーター・ストーメア、まあなんて嬉しいんだろうって感じだったけど、悪魔側のハーフ・ブリードのキャビン・ロスデイルって役者っていうよりロック歌手なんだね。
◇ダーティー・コップ(The Trust)
強盗するという狂気に侵されてゆく警官ふたりの話ってだけで、共感するところはほぼない。
イライジャ・ウッド、若いな~。ニコラス・ケイジはまんまだけど、なんでこの映画に出たんだろうってくらい、その狂喜を演じた理由がつかみづらい。役名すら与えられないスカイ・フェレイラもかわいそうだけど、ちなみに彼女は『ツイン・ピークス』のリミテッド・イベント・シリーズに出てるそうで、そっちの方が興味が湧くわ。
◇アルカトラズからの脱出(Escape From Alcatraz)
公開当時、クリント・イーストウッドの作品を好んで観ようという気持ちはなかった。なんか男臭くて乱暴な印象が先行してたからかもしれないんだけど、ともかく敬遠してた。この作品は特にそうで、内容は知ってたから『パピヨン』と重なって、なおさら観なかった。
そんな思い出が優先されるんだけど、いや、結局のところ、観終わっても印象は変わらないな。ドン・シーゲルがイーストウッドと組んだ最後の作品っていう触れ込みだったんだけど、ちからが衰えてたのかどうかすら、ぼくにはわからない。
なんだか、ひたすら淡々とした脱獄劇で、スティーブン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』をおもいだした。
◇シノーラ(Joe Kidd)
この映画が封切られたときの記憶はない。ただ、クリント・イーストウッドの存在を意識して、その作品歴を見ていったときに『シノーラ』という映画があることを知ったんだけど、実をいうと、そのときシノーラというのは女の人の名前だとおもってた。村の名前だなんて想像の端にも想いうかべなかったし、いまだにその印象は変わらない。
まあ、監督ジョン・スタージェスにとっては晩年のちからの抜けた一本って感じだったのかもしれないけど、なんだか印象の薄い映画ではあったかな。ヒロインのステラ・ガルシアの印象も薄いのは、結局のところ、イーストウッドと濃厚な仲になっていかない設定だったからかもしれない。
この脚本のまずいところは、ロバート・デュバルの本拠地のメキシコ国境の町で、ひとりひとり倒していくというくだりと、ラストのシノーラでの銃撃戦とが別々に分かれてるってことで、それが分裂して間延びした感じにさせてるんじゃないかって気がするんだよね。
☆ガーンジー島の読書会の秘密(The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society)
邦題が好くないな~。原題に「読書とポテトピールパイの会」とあるんだから「秘密」とかいった引きの言葉をくっつけなくてもいいじゃんね。なんか格下げされたちゃうような印象になっちゃいそうで、溜め息がでちゃうよ。
リリー・ジェームズは新進の女流作家って感じが出てる。いや、実際、前の作品が全世界で28冊しか売れず、意に沿わない作品を書かされ、さらにサイン会と講演会の日々に疑問を抱き、ようやく書きたい主題に出会ったものの、その「秘密」を守るために出版はしないと決意するのは、なみたいていなことじゃない。なんか、わかるね。
それにしても、読書会の切っ掛けを作ったジェシカ・ブラウン・フィンドレイと医者の身ながらも徴兵されてガーンジー島に駐留していたニコロ・パセッティの娘フローレンス・キーンの無垢な可愛さが泣きたくなるくらい好いね。