昨日は、一寸平野神社へ出かけてみた。早咲きの魁桜は満開だが、境内に多くある染井吉野は三分咲き位だろう。京都市内は、昨日まで連日雨日が続き寒かったので、開花も足踏みであった。だが来週に入ると一斉に見頃となるだろう。今日は天気が良いのだが、冬を思わせる寒さに少し戸惑う。
話題は変わるが、最近推理小説中毒とでも言える症状があると思っている。つまり一冊を読み始めたら、次から次へと読み続け、おおよそ一人の作家の小説を大方読み尽くすまで中毒は続く。昔も森村誠一の推理小説を読みあげた事があった。
最近は、西村京太郎である。この推理小説の過半は、百万分を超える出版部数を記録し、テレビで放映もされ随分人気があった。だから個人的には、それまで全く関心がなかったのだが、先日、時間つぶしに一冊読み始めたのが切っ掛けで、その後1日に1.5冊は読んでいる。彼の小説はブームも過ぎたのであるが、それでも書店やKIOSKにはまだ何冊か並んでいる。
こうした推理小説中毒というのは、その作家の大方を読み尽くすまで続くので、当然多筆の作家でなければならない。西村京太郎ならば申し分ない多筆の作家である。この小説を1冊鞄に入れておくと、時間をつぶすのが大変楽になる。先日も試験の出題待機のために、3時間会議室で何もせず閉じ込められた。それは大変疲れる拷問のような時間だが、推理小説を読んで時間をつぶしているとストレスが大変少なくなるという利点がある。
手元にあるちくま文庫の建築家レム・コールハースの「錯乱のニューヨーク」などは2/3位読んだところで、コールハースの書き方が大変くどいし、内容も結論までわかってしまったのでほったらかしにしてある。それを思えば、次から次へと読み続けられる推理小説というのは、ストーリーテーラーだと思う。
京都市,平野神社,撮影日2010年3月26日
FUJI S5pro,AF-S Nikkor16-85mm/F3.5-5.6ED,VR
シャッター:1/900,絞りf4,焦点距離16mm,ISO100.
話題は変わるが、最近推理小説中毒とでも言える症状があると思っている。つまり一冊を読み始めたら、次から次へと読み続け、おおよそ一人の作家の小説を大方読み尽くすまで中毒は続く。昔も森村誠一の推理小説を読みあげた事があった。
最近は、西村京太郎である。この推理小説の過半は、百万分を超える出版部数を記録し、テレビで放映もされ随分人気があった。だから個人的には、それまで全く関心がなかったのだが、先日、時間つぶしに一冊読み始めたのが切っ掛けで、その後1日に1.5冊は読んでいる。彼の小説はブームも過ぎたのであるが、それでも書店やKIOSKにはまだ何冊か並んでいる。
こうした推理小説中毒というのは、その作家の大方を読み尽くすまで続くので、当然多筆の作家でなければならない。西村京太郎ならば申し分ない多筆の作家である。この小説を1冊鞄に入れておくと、時間をつぶすのが大変楽になる。先日も試験の出題待機のために、3時間会議室で何もせず閉じ込められた。それは大変疲れる拷問のような時間だが、推理小説を読んで時間をつぶしているとストレスが大変少なくなるという利点がある。
手元にあるちくま文庫の建築家レム・コールハースの「錯乱のニューヨーク」などは2/3位読んだところで、コールハースの書き方が大変くどいし、内容も結論までわかってしまったのでほったらかしにしてある。それを思えば、次から次へと読み続けられる推理小説というのは、ストーリーテーラーだと思う。
京都市,平野神社,撮影日2010年3月26日
FUJI S5pro,AF-S Nikkor16-85mm/F3.5-5.6ED,VR
シャッター:1/900,絞りf4,焦点距離16mm,ISO100.