Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし259. 冬の小さな旅31.

2010年03月17日 | Aomori city

 酸ヶ湯温泉の湯治部に泊まったとき、四畳半の茶の間のような適度に狭い空間に親しみを感じた。脇には流しとキッチンがある。窓からは湯溜まりが見え、氷柱が下がっていた。素泊まりは料金もすこぶる安い。
 随分前に伺った話であるが、農家のオバハン達は、稲刈りが終わる農閑期になると旅支度で忙しい。それも、自家製の漬け物や乾燥物などをつくったり、愛用の鍋釜を持参したり、それにお米や味噌や醤油も必要だといった具合に大荷物になる。そして亭主や息子の車に積んで、普段着で出かける先は温泉地・自炊が出来る湯治場である。
 湯治場では、秋の紅葉を愛でながら温泉にたっぷりつかり一年間働いた体の静養である。そして湯治場に売りに来る地場の野菜などを仕入れて自慢の調理をつくり始めたり、持参した料理を持ち寄り、毎年同じみの顔があつまり宴会となる。最近の話、近所の話、ときには旦那や息子の自慢や陰口など様々であろう。話に飽きたら、また温泉。そしてあとは寝て暮らす。そんな自分流の気ままな毎日を少なくとも2週間は続けるという。
 この話を聞いたとき私は、これこそ立派なリゾートライフであり保養地の姿だと思った。色鮮やかな紅葉と白く濁った温泉は、欧米には少ない。我が国のリゾートライフは、欧米よりもはるかに充実した暮らし方をしてきた。それも農家のオバハン達によってである。だから温泉には、3,000円程度のリーズナブルな料金で長期滞在できる普段着使いの湯治場と優れた温泉が必須なのである。
 それを思うと最近の都会暮らしの人達の余暇の過ごし方には、首をかしげる部分がある。沖縄などの高価なリゾートホテルに2泊ぐらいしても、風景を楽しむぐらいで、建築の人間から見ればマンションと大して変わらない仕様のホテルでは、金ばかりがやたらとかかり、後は退屈なことは目に見えている。高い宿代では当然長期滞在は無理だろう。それにリゾート地に行くとコミュニケーションがとても下手な都会人であれば、顔馴染みをつくるのもかなわない。それではリゾートライフとは呼べない。現代の保養地開発事業は、実に馬鹿馬鹿しい仕組みを構築している。
 リゾートライフの魅力の鍵は、まさにコミュニケーションにある。顔なじみができれば、毎年同じところに人はやってくるのである。リゾートとは、「Re=繰り返し、sort=人がそこにいる或いは訪れたくなる」という魅力ある非日常的環境なのである。だから日常とは違う顔なじみがいたりできたり。そうしたコミュニケーションを基本に考えれば、欧米よりもはるかに魅力的な我が国の保養地・湯治場の将来像が描けるのである。

青森市,酸ヶ湯温泉,撮影日2006年3月3日
EOS Kiss Digital ,SIGMA18-125mm/f3.5-5.6.
シャッター:1/400,絞りf10,焦点距離109mm,ISO400.

コメント
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