世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
もう 最高!
今日、またも固い内容のブログを書いていたら、突然、珍しい人から電話があった。25年前私がまだ30歳代の時、小学校1~2年生の時の女の子の教え子からだった。7月に結婚するので式に出てほしいというのだった。びっくりするやら懐かしいやら。声は昔のまま、話もスムーズに弾む。私の頭の中の彼女は1メータ^30ぐらいの可愛い女の子。実際は1メーター64あるという。彼女のなかの私は運動好きな元気な先生。実際は身長1メーター62体重80キロ、頭は真っ白でひげを生やした現役を退いたお爺さん。7月にあったらお互いびっくりするだろう。
「赤ちゃんが生まれたら、のんびり育てるのがコツだよ」またしても先生風をふかしちゃった。
ごめんごめん。つい地金が出ちゃった。でもいい。最高に嬉しいんだから。
「赤ちゃんが生まれたら、のんびり育てるのがコツだよ」またしても先生風をふかしちゃった。
ごめんごめん。つい地金が出ちゃった。でもいい。最高に嬉しいんだから。
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これが教育行政?
昨日、学力低下の対策で、夏休みを短くし、土曜日授業の対策を実施したり計画してる自治体のあることが報道された。文科省は自治体が色々工夫したらいいと腹の大きいコメント。尾木さんという現場的と言われる教育評論家は、学力検査が世界1だったフィンランドは日本より授業時間の短いことをとりあげ、否定的見解。運動会などの学校行事などに使うのは有効と部分肯定。
授業時数を多くする理由は、国の基準を確保するのが困難とのこと。
はっきり言って呆れた。もうかなり前になるが「教育ママ』の現象をメディアは揶揄的に取り上げていた。確かにその弊害は沢山目にしてきた。「オバタリアン」に近いイメージだった。今、公的に、行政的な権力を使って実施する。スゴイ!としか言いようがない。
教室で子ども達に聞いてみるがいい。特別な子どももいるとは思うが、まずほとんどが、「えー なんでえー」と悲鳴にも似た大声をあげるに違いない。(勿論この場合も聞き方1つで,フォーマルな声になる)
大人達に考えてほしい。我々が子どもだった頃、今よりはるかに、子どもの時間はいっぱいあった。
それでも、夏休みを1週間短縮するといったら、総ブーイングだったでしょう。あなたはどうですか。
今は3間(時間・自然の空間・仲間)が取り上げられているのです。夕方、愛の鐘を鳴らしても、そのころ
こどもはほとんど外にはいません。様子が全く変わってしまっているのです。私が子どもの頃だったらまだしも 勉強時間を確保すればそれなりに力は付いたかも知れません。今、子どもは殆ど拘束され、自分の時間を持てないのです。その上、勉強はお腹いっぱいの飽食状態で疲れています。(ゲームやテレビは代償行為です)
以前、保護者会では必ずと言っていいほど「遊んでばかりいて、勉強しないのですがどうすればいいですか
宿題でも出してください」と要望されたものです。いま1ばんは「学校へ行き渋るのですが」だ。
勉強時間を増やすのは、昔なら1つの方法だったでしょう。今は殆ど、下剤の役割です。
今の雰囲気なら私のこの主張はほとんど通らないと思います。教育は現実的・実証的です。実際どうかを少し細かく丁寧に見てほしい。不登校・病気・問題行動との関係で必ず表れます。
評論家の尾木さんに 学校行事がどうなっているかご存じですか。教育ですから全面否定はしませんが
学校が落ち着きを欠き、荒れ、不登校が出、、障害児学級の指導で1番難しいのは10月だと言うことを知っていますか。なぜか 運動会や学芸会と行事と関係あることを。子どもの実状把握をもう一歩つっこんで捉えてほしい。
授業時数を多くする理由は、国の基準を確保するのが困難とのこと。
はっきり言って呆れた。もうかなり前になるが「教育ママ』の現象をメディアは揶揄的に取り上げていた。確かにその弊害は沢山目にしてきた。「オバタリアン」に近いイメージだった。今、公的に、行政的な権力を使って実施する。スゴイ!としか言いようがない。
教室で子ども達に聞いてみるがいい。特別な子どももいるとは思うが、まずほとんどが、「えー なんでえー」と悲鳴にも似た大声をあげるに違いない。(勿論この場合も聞き方1つで,フォーマルな声になる)
大人達に考えてほしい。我々が子どもだった頃、今よりはるかに、子どもの時間はいっぱいあった。
それでも、夏休みを1週間短縮するといったら、総ブーイングだったでしょう。あなたはどうですか。
今は3間(時間・自然の空間・仲間)が取り上げられているのです。夕方、愛の鐘を鳴らしても、そのころ
こどもはほとんど外にはいません。様子が全く変わってしまっているのです。私が子どもの頃だったらまだしも 勉強時間を確保すればそれなりに力は付いたかも知れません。今、子どもは殆ど拘束され、自分の時間を持てないのです。その上、勉強はお腹いっぱいの飽食状態で疲れています。(ゲームやテレビは代償行為です)
以前、保護者会では必ずと言っていいほど「遊んでばかりいて、勉強しないのですがどうすればいいですか
宿題でも出してください」と要望されたものです。いま1ばんは「学校へ行き渋るのですが」だ。
勉強時間を増やすのは、昔なら1つの方法だったでしょう。今は殆ど、下剤の役割です。
今の雰囲気なら私のこの主張はほとんど通らないと思います。教育は現実的・実証的です。実際どうかを少し細かく丁寧に見てほしい。不登校・病気・問題行動との関係で必ず表れます。
評論家の尾木さんに 学校行事がどうなっているかご存じですか。教育ですから全面否定はしませんが
学校が落ち着きを欠き、荒れ、不登校が出、、障害児学級の指導で1番難しいのは10月だと言うことを知っていますか。なぜか 運動会や学芸会と行事と関係あることを。子どもの実状把握をもう一歩つっこんで捉えてほしい。
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