人の放す光

今日は2年生の遠足に障害を持ったI君の補助で付いて行った。歩いていると、Aさんという丸顔で真っ赤なほっぺと、にこにこ瞳の女の子が、そばに寄ってきてI君に話しかけたり、私に電車のことや、お弁当のこと、自分が太っていること、おかあさんが中国人であることなどを楽しく話してきた。
一方、目的地に着いて、並ぶとき、なかなか色白で美形のB君は、神経質そうな目で私とその子を見るなり、あっち行って並べと後方を指さし、あからさまに、嫌がった。(この子も、お弁当の時は、シートに一緒に座らせてくれた)なかなかはっきりしてる子だ。
AさんとB君の1連の動きや表情から勝手に、Aさんからは、自然の光を,B君からは、青白い人工的な光を感じた。今のご時世は大人も子ども暗い話と顔が多い。しかし考えてみると、人はどんな場合も、生きている限り、そこで最大限光ろうとして光っているのではないだろうか。自分は見落としていないか?と自問した。
すると、光の色や光り方で捉えるのもいいなと思った。そして、自然の光りと人工的な光りは区別した方がいいようだ。光りは人により、場合による。、固定していない。ただ、周りを見ると、人工的な光りが増えている感じだ。
自然の光りはやさしく安心できる。人工的な光りは、人目を引くが安心しきれない。お互いに自然の光りが出るようなつき合い方をしたい。

  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )