敢えて問うと

敢えて、(お金)と(権力)は、どちらが支配的か?の問いの答えは一様ではないが、基本的なところでお金が権力をも支配する関係がさらに強まっているように思えてならない。

  これだけの自然災害や人災を経験した直後にも関わらず、マスコミや災害復興へのやり方全体にそれを感じる。 

 

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【専門家】の役割

毎日テレビや新聞に次々【専門家】登場し発言し、ほとんどの国民はそれを鵜呑み(?)にして従っているのに、どうして社会はおかしい方に進むのか?

 世界最高の借金、世界をあわてさせた原発事故、自殺大国と化した社会病理…今日も暴走に制御の兆しはなくひた走る。

 高学歴化した今日、世に【専門家】は大いに増え、専門的知識を身にまとった人はかつてなく増加したが、不思議にも現実は良くなるどころか悪化し逆行しているようにすら見える。 ひょっとすると、【専門家】が間違っていないだろうか?

 社会的な現象は【専門家】が言うように専門分野(他と切り離されたある分野のこと)の形で存在するだろうか?と考えてみた。

 ある限定された範囲では専門的知識は有効であっても、社会で起きる出来事や現象は全体の中で存在し、他と切り離してある部分を取り出しそこを分析できるものはない。これは人体においても同様ではないか。

 専門的知識を持っていようが持っていまいが最終的には全体的な関係を捉えるしかない。

 専門的な知識と全体を把握する力(感覚)とは必ずしも一致しないどころか、特定の知識が全体認識の感覚を鈍らせることは日常生活で誰しも経験することである。

 (無知の智)があってもいいと思うし、一般的にもよくみられる。

 特別な教養や知識を持つものと持たない者を全体認識(メタ認識)で優劣で区別するのは民主主義の上からも実際的にも不合理ではないか。

 だからと言って【専門家】や専門知識は不要でないがしろにしていいものではない。病気したら、誰だってお医者さんに診てもらう。

  大事なのは、全体的視野と認識で専門家や専門的知識をどこでどう用いるかであり、マスコミが仕事としてある目的のために【専門家】の権威や専門的知識を利用しているのは本来ではないが、一方的にマスコミを非難できない社会的関係もあるからややこしい。

  

  

 

 

 

 

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