社会の動きをマスコミ抜きで語れるか。

東京新聞10・19朝刊の文化欄で『熱狂で社会は動かぬ」と題し中島 岳志さん(北海道大学 日本近代史准教授)が歴史から今を学ぶとして現代の日本の風潮を心配した論説が紹介されていた。言わんとするところは分かったが、紙面の半分以上を使いながら、マスコミの(マ)の一言も出てこない。

国民は社会の出来事のほとんどはマスコミの報道によって情報を得ており、熱狂するも反応せず沈滞するもマスコミ次第ではないのか。

マスコミ抜きで社会を論ずる人が一般の市民はもちろん学識経験者まd如何に多いことか。

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政党の限界か?

新聞は「 山本太郎氏ただ一人5輪決議反対」と変人が一人いるかのように報じた。

 与野党の 政党は揃いもそろって、日本の現状をどう見ているのか、  にわかには信じられない。

 今は 筋のメリハリを付けないと、混迷を深めるばかりの現状に見えないか。  見え方の違いに驚いて ひげを撫でながら考え込んでる爺さんが一人 そこにいた。

 

 

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子どもは大人の「ダシ」か?

「環境の変化に対応できない大人と社会の仕組みがもたらす行き詰まりは仕方ないとしても、子どもへのツケやシワ寄せは如何ばかりか」

アメリカのお茶会だけでなく世界で広く立場や考え方と関係なく常套句として使われているのは、子どもが大人の「ダシ」になっているようだ。

 

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「子どもは風の子」か。

昔 「子供は風の子」だった。

今は 風の音は聞こえても子供の声はどこかへ消えた。

昔と今と生きで物である人間の子どもの性質は変わってしまったのだろうか。

50年前の「地球が青かった」を知らない宇宙飛行士は「地球は青かった」と同じ言葉を使うしかない。

今も、多くの大人は「子供は風の子」だと思っている。

生き物の本能や資質は環境でそんなに変わるものだろうか。

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気付かぬ老人

かつて 「地球は青かった」 が

きっと今は 「あの青さは濁ってきた」 ことだろう。

そこらを車で走ったり歩いたりしていても 変色に気付かない老人がここにもいる。

 気付かない老人がどう昔を語るのか。

 

 

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