自然感覚を薄められたリーダー

 

      現在の教育のシステムでは教育によって専門分野の力はつける反面、自然や全体に対する感覚は薄らぐのは普通かもしれない。

    全体や自然感覚の薄められた人たちが各界のリーダーとなって地上の自然を壊してはいないだろうか。

     政治や経済界のリーダーだけでなく、マスコミへ登場する多くの人から自然の感覚を感じないのは偶然だけではないようだ。

      

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自然を真正面に据えて対峙する

 

     子どもの存在や実態そのものが自然そのものある事を本当に理解していただろうか?

    自分なりに(本来)を大事にしてきたつもりだったが、今振り返ると、もっとその事をしっかり中心に据えるべきだった思う。

    器用さの範囲を出ていない。 

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今にして思う

 

    動物の世界は(弱肉強食)だとよく言われるが、人間のとは 基本的に違うかもしれない。

     動物は自然を壊し 自らが生きられないようなまねはしない。

     人間に教育が必要だとしたら、その事を自覚できるようにすることだろう。

            人類は基本を学ばず、忘れていてはいないだろうか。

         基本を忘れては 平和も経済も教育も個人の幸せも ありっこ無い。

       自分の子供への関わりは 甘かったと(今にして)思う。

  

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  思い出した 一体感

 

     昼は近くの桜を見に行った。夕方は 妻の買い物に付き合いコンビニに行ってきた。

     年のせいだとは思うが山も店内も行き帰りも、周囲が自分の体の一部であるよな感覚にとらわれ、世界が自分も入った1枚の写真であるかのような気に思えた。

     思い返すと、小学校へ入学する以前の感覚がこんなだったような気がする。     とてもいい気分だった。

       多分、家の看板にしている【WELL BEE】(良い状態)は こんなんじゃないか。

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