「こんな筈ではなかった」が普通の社会の動き

 

      メディアの発達は 功罪半ばか。

   情報を広く共有するには便利な道具だが、認識が情報によって現実から離れ現実への対応を難しくする側面も持っている。

   この特徴が重なると、間違った情報によって社会は動く。

    社会は「こんな筈ではなかった。」ことの方が多い。 

 

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「負け惜しみ」と言われても

 

  電車に乗ると、周りは スマートフォンに見入ってる人ばっか。

  自分が時代について行けずズレたのか? と気になったり、彼等は大丈夫かなー?と 心配したり…。

  これが世界的現象だったら、なお心配。

 見ている本人は生の人間でありながら、あの箱の中には 自然を基にした生の情報は 無い。

 「使えない者の負け惜しみ。」と言われても (今は) 匂いも味も無いプラスチックのような情報を食べる気はしない。

   

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