「地球と人間」の教育の必要性








考えてみると 地球のことを断片的には教わってはいたが 地球と自分たちの関係を かつて きちんと教わったことは無かったし 教えたこともない。 小学校から大学までテキストも見たことが無い。

   もし、地球のことが教育されていたら 世界も日本も 今日のようにはならなかったのではないだろうか。

   最も大事なことがスッポリ抜けている。

  パンデミック・温暖化・難民・テロ・経済の行き詰まり ・安全保障   これらの問題は 人間の地球に対する認識不足が原因していないか。
  
  自分の姿が直接見えないように 人間の生きてる原理が見えにくいのかもしれない。

    地球に対し人間のやることが大きいから 原理や原則を教育しないでいては 今日のように行き詰まるのは むしろ必然かもしれない。

    

   
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新しく教育に求められるもの





   これから求められる人材は地球と自然を認識の基盤に据え行動できる人間ではないだろうか。

    知識として獲得するのは難しくないが それを基に行動できる人間を育てることは容易ではない。特に自然を認識の基盤に据えるのは難しい。 

    教育は100年の計と言われるが  どこからでも急ぐよう(人ではなく)時代が 求めているように思う。
     
     今の時代 これまでの知識中心の専門的権威では 間に合わない。 



   
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視座の獲得の難しさ




   

  物事の意味はそれを認識する時空の取り方によって変わる。

   世界はグローバル化していると言われながら 社会現象をグローバルに認識しているだろうか? 

    気候変動 難民やテロは 対国家として生起した問題として認識するのと 地球上で生起した問題として認識するのとでは 意味は異なり対策も変わって来る。 

   認識する新たな視座の獲得は 知識の獲得と違い難しいことではあるが グローバル時代と言われてるのだから せめてリーダーたちはその違いや認識能力を意識してほしい。 
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世界的泥沼




空爆を強化して拠点を壊滅しテロをなくすことは出来るかもしれない。

   しかし、それが問題解決になるかどうかは別の話。
   
   むしろ 世界的規模で社会病理を抱え現在より深刻になるだろうと予測される。
  
  日本は 30年も前から 青少年の非行を力で抑え 現在 病理的な状況を招いている。
  
対策が安直に思われる。



日本は 経験を生かしてもっと違った形で世界に貢献した方がいいのではないか。

  ヨーロッパに残っている良き伝統が 薄れていくことを危惧している。

   人類は環境を壊し社会の内部崩壊を抱えては 克服する術を持ち合わせていない現在 解決は より一層難しくなるだろうと思う。

      
     
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