世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
マヒしてる 私
商業宣伝の溢れ方は異常ではないのか。
これも 判断の基準を普遍的な自然の法理に置いてみる。
宣伝されている物を良いからと言って買い求めると 有限な資源は枯渇するのは必然で地球はもたなく種は滅ぶ。 自然の法理
とは矛盾したこの行為が巷に溢れ、いつしか仕方ないものと諦め 改めて考えないと異常さを感じない。
同じように感覚マヒし 当たり前で普通 になっているものはこの世界に どれだけあるだろう。
種どうしの殺し合いも 公であろうとなかろうと公然と殺し合うのは その一つ。そんな種が 他にあるだろうか。
私たち ヒトは法理に合わない異常な空間を作ってしまい いつの間にか それに馴染み、ここに馴染んでしまっている私が いる。
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幻滅
(学者への幻滅)が 私の目に大きく映っている。
社会的な水先案内の役割や責任を持ち 社会的に 権威を持ち身分も保障されていながら 世界のの現状に対し その多くが 役割を果たしているようには見えない。
地球と子供たちが悲鳴を上げ 為政者がそれに耳を傾けることなく政策を繰り出している今日 為政者や報道機関をも含め水先案内が必要な時代だ と思う。
思いだすのは 聖書に出てくる律法学者や徴税する官吏。 あの学者は 諸説を振りまくが真理や道は説けないと。仏教も「絶学無為の間道人(世の中や人の道が解る人)」の言葉がある。
特に現代の社会的役割や立場からすると 神仏はともかく ある意味で 宗教やを政治を越え 世界や時代を道案内する役割が求められる。
「地球無くして 人間は存在しない。」「子供たちが人間の将来を背負っている。」この事実を何故説かないか。そもそもかもしれないが 不思議を越えて(幻滅)として映っている。
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