曖昧




  本能としての生殖と社会的な機能としてのコミュニケーションを改めて考えてみたいと思った。 

    ボディランゲッジ的な全身的なコミュニケーションは 子供はもとより 年寄りには特に必要かもしれない。



     若い時は それを曖昧にしたり勘違いしていたように思うこの頃。 
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希望の源泉



    「小さく見えるほど意味は大きく、大きく見えるほど意味は小さい。」


       こんな仮説を立てて見回すと、意外に納得出来るものがある。


        スカイツリーやハデハデのオリンピック 対して 一画一画に心を込めて描く文字や草花の成長。

         世界が狭く小さく見えてきたのは 希望の源泉。

          

       


      
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知らずに並ぶ



この世を コマーシャルが 制覇したかのような錯覚すら覚える。

  政策が商品のように並べられ お客は宣伝文句につられて買う。

    これはスーパーの風景ではなく 世界や日本の政治や社会の風景。


    「政治改革」「教育改革」「経済再生」「構造改革」 「景気の好循環」「100年安心年金」「輝く女性」「1億総活躍」「同一労働同一賃金」国を越えた「積極的平和主義」「安全保障」「ならず者壊滅」 等々。


     国の内外 看板は切りなく立ち並ぶ。

     こらだけ商品を並べれば 何でも出来る。 ヒット戦略は お店が決め、お客は知らずに並ぶ。

        列の末尾に 白髪のおじいさんが退屈そうに並んでいる。


       
   
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