自然に導かれる

COP26がようやく終わった。

次のCOP27に向けての異常気象による被害が世界の緩慢な動きを急きたてくれるのではないかと期待している。

自然と人のや社会の関係を目の当たりに出来る。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界の安全に対する危機感の萎え

太平洋戦争後 コスモポリタニズムが言われ世界連邦の呼び掛けがあった。

EUの結成も戦争に対する反省から生まれた。

今 世界は気候変動で人類的危機に直面している。世界戦争をはるかに越えた危機であり、国家を越えた世界を単位にした対策

が余儀なくされている。戦後以上に世界の連帯が呼び掛けられても良い時代だが、その声は無い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

主体的判断の大切さ

大雑把に言って世界はアメリカを中心い回っているのだが、肝心のアメリカが分断され経済的 にも良くは無い。

こんな場合 世界の国々などう動けば良いのか?

友好関係 対立関係など色々あろうが 主体的な判断を欠いた他人任せだけはいただけない。相手の如何を問わず言うべきことは言う これが 今の時代の国家も個人も至上命題ではないだろうか。歴史的必然性に気が付き前向き成れるかどうか。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

最優先課題に対して

気候変動は 人類の子孫に対する現世代の意向を問いかけている。

何にも増して最優先課題ではないか?今は そうなっていない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

社会病理現象の根は深い

社会病理的な出来事が次々起きているが、社会病理の科学者がマスメディアに登場しない.のは 病巣の深さを意味していないのだろうか。

科学的な対応をないがしろにしていては さらにこじらせるだろう。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ニュース感覚のマヒ

日本のコロナ感染症は一応落ち着いたからなのかマスメディアは緊張感が無い。感染症以外にも経済はじめ社会の現状や先行き等 緊急対応の迫れている事は数多くありながら、大衆に迎合した消費や娯楽番組に明け暮れているかのようだ。

やがて これまで繰り返されて来た「前代未聞の出来事」に遭遇することになりそう。良しにつけ悪しきにつけ 全体的に出来事に対するニュース感覚がマヒしている。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )