世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
皇太子ご一家スキー旅行
これはある女性週刊誌の新聞広告の大見出しである。秋篠宮ご一家が両陛下の元へ足を運ぶのに何故出かけるのかと、疑問(不信)を呈しているようだ。似たような記事はこれまでも何度か目にしてきた。ところで、こんなことがまかり通って良いのだろうか。宮家であろうとなかろうと,言論・出版が自由であろうと無かろうと、人権侵害に関わること。法的に許されるとしても、何とも納得できない。こんなことが放置され、愛国心や国の象徴とは何を意味しているか分らない。そんな理屈より、品の無いメディアの象徴のようだ。こんなことがまかり通っているのに恥ずかしい思いも無くは無い。
ついでだが、「福田政権脳死状態」とか「呆言録、一挙公開」のような見出しも、政権の評価とは異質のものを感じる。
これらの記事が国民にアピールすると言うなら、その国民感情とは何なのかと自省せざるを得ない。
もともとおかしいのか、おかしくさせられているのか分らないが、
何時までも他人のせいばかりには出来ない。子供じゃないのだから。(子供だって何でも許されるわけではない。)
ドル安・円高・株安は世界のドラマ
連日報道される経済情報は、地球を舞台に地球上の全ての人が壮大なドラマを展開しているかのようだ。超大国がお金をいっぱい印刷し、火遊びと、贅沢グセも治らず、ついに不渡り手形を世界にばら撒き、印刷したお金は溢れるのに証券から離れ金にへばりつく。誰がシナリヲを書いたわけでもなく誰かが監督をしているでもない。しかし、世界の全て動きが絡み合って、お金と経済社会の環境が日々変わる。生に関わる重大なことだから、どのテレビも新聞も朝から晩までひっきりなしに報道している。、良いのか悪いのか、凄いドラマだ。
世界が物価高でインフレ傾向なのに景気対策は、利下げや金融への資金投入というインフレ策をとる。分らないことが多い。
このドラマで使われる言葉は、(隠語のように)特殊だから、気をつけないと分らなくなりいつの間にかドラマの外へ放り出される。
崩れを招いたもの
(日本)社会の崩壊を招く。
世の中、どこかボケている。
今日は日銀次期総裁候補の国会での聞き取りと、東京の新銀行東京の焦げ付き問題を新聞やテレビで報じていた。
これまで副総裁で、日銀の責任者でもあった新総裁候補は記者会見で立場と抱負を述べていたが、今日の日本経済が陥っている経済不安の責任の話が一言も無い。続けるにしろ交代するにしろ、そこが1番の焦点ではないだろうか。(副総裁も候補も同じ。)
?新銀行東京の税金の膨大な焦げ付きの責任を都政(行政)の最高責任者が負うのは先ずは常識。
勿論、経営責任や貸し手の業務や借り手の責任もあるが、それは順を負っての話。
(焦げ付きの行政責任を曖昧にしたまま)焦げ付きの責任を議会で論争するとメディアは伝えるが、平気でそれを伝えるメディアがボケている。そんなところでガタガタしている段階ではないはず。(納めた税金はどうなるのか?どうするのか?) ではないか!チェックする方も、される方もかなり【出来上がっている】
3年になる日記
年も年だし、健康も今一なので、つたない内容でも臆せず思いっきり書いた。
私ごともあったが多くは教育や政治経済など世の中の事に警鐘を鳴らすものが多かった。大方、心配した方向できている。
ただ、今思うのは、どこの国だか忘れたが、≪雷が落ちて十字を切る≫ということわざがあった。
世の中への警鐘はメディアでも日増しに大きくなってるし、実際に、そのような出来事が地球上に具体的に広がっている。
言わば、雷は近づいている。ただ世界のリーダーや機関には雷鳴がよくは聞こえないようで、反応らしい反応が見られない。
強い味方はやってきている②
とりあえず①で今後の地球と人類の大まかな展開を記した。
補足したい。 実際は、強い味方(地球の自然の力)はすでに来て働いている。 島が沈み、氷山が解け、砂漠が広がり、異常気象が襲う。 無断拝借する資源はも石油や金は有史以来の高値を記録し原材料不足が生産にブレーキをかけ高値に消費も落ちる。
人の暮らしを犠牲にした物質文明は少子高齢化を促し、病人と犯罪を増やし、子どもの発達を阻害している。
地球からのメッセージは身の回りから地球や世界の統計に至るまで少なく無い。部分的であっても、これらのメッセージで対策を余儀なくされるものもでてきている。温暖化対策の2酸化炭素の減少も世界の主要な政治的テーマになった。まだ、温暖化対策のように事態の認識は甘く、解決の見通しにはにはほど遠いが、こんなに重要な問題で世界中が、前向きにテーブルに着くのは、初めてではないだろうか。早晩、安全保障、資源、食料、防疫など世界的な政治テーマにならざるを得ないと思う。
断りも無く地球を掘り起こし燃やして富を作り文明を築く非合理性に気が付き全体的な方向転換をするほうが犠牲は少なく話も早いとは思うが、今後 の世界と日本のヒトがどう動くかがが楽しみ。
天罰に見えても、犠牲を少なくする地球の予告と捉え早めに気が付き対策を立てるにかぎるのだが‥‥。
知識や経験
知識や経験とは全て過去のものであることだ。過去の知識や経験は現在や将来にプラスになることもあるが、過去に縛られ現在に向き合いにくくする場合もある。現在の状況は過去と同じ事はありえない。下手に過去にプライドを持っていたりすると、それに縛られ新しい状況に対応しにくいハンデにもなる。高学歴の官僚や、大学教授など専門家によって世の中はリードされてるのに悪化するばかりの事柄も少なくない。 全体(メタ)認識と専門知識は全く違うこととを偉いヒトも偉くないヒトも専門家自身も勘違いしているかもしれない。物事は専門的であれ、部分的であったり細分化された中に存在するものは無い。 行き詰まった時代、リーダーに対する発想の転換が必要ではないか。
ついでにアメリカの大統領選、
両者「変化」を唱えながら、クリントン氏が経験を、オバマ氏はアメリカンドリームを売りにするのは、共に、理にかなていない。アメリカも日本同様、「先が見えている。」のに、先は見えないようだ
強い味方がやって来る
環境・経済・少子化などますます問題は難しくなっているのに、地上ではヒトは、わが身をを省みることなくひた走る。
昨日、NHKは日本の学力低下で日本沈没か?とゴールデンタイムに3時間の特番を組んでいたが、番組自身が流れを助長する学力に無神経な作りだった。
これも、ヒトの地球への不適応の現象だろう。
つい暗い気持ちにもなるが、酷く心配することも無い。
地球はヒトの意のままにはならない。最終的にはヒトは地球の理に合わせざるを得ない。 犠牲は出すが長い地球の歴史で言うとそんなものだ。
問題はどの時点かだけ。
コマーシャルの罪
テレビを見ている途中のコマーシャルは昔から目障りではあった。でも、視聴料も払っていないし仕方ないだろうと諦めていた。最近のコマーシャルはさらにエスカレートし、通信販売の番組の時間も組まれ、否応無く1日中、茶の間に溢れる。見ているとやはり良い商品があるし、買おうかな?とそそられることもある。ところで、欲しくてもお金が無くて我慢ばかりしなくてはいけない人は、どんな気持ちになるだろうと心配になった。社会から取り残された、敗者のような惨めな気持ちに追いこめられないだろうか?そのようなところに長く閉じ込められたとき、人はそこから抜け出すためにどんな行動に走るだろうかと考えた。欲求不満やストレスを解消するヒトの行動にモラルや法の力は比例的に弱くなる。犯罪を超えた≪何故≫と言いたくなる事件が予定されたように相次ぐのを見ていると、社会に蔓延する商業主義的な派手な世相が無関係には思えない。もしこれに因果関係があるとするなら、犯罪の予防のためと、地球資源を枯らさないため何らかの規制があっても良いのではないだろうか?
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