世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
違い
津波被害の岩手や宮城の海辺の悲惨さと、福島原発の立ち退き封鎖地域の荒寥さ
悲惨な陰からは暖かい風と小さな芽もふくらむが 荒涼と化した空間は 無機質な風に草木もたち枯れん
「おはなをかざる みんないいこ」 だった
小学校1年生に入学して、国語の教科書を開いてすぐ出てくる言葉が(おはなをかざる みんないいこ)だった。
教室では やさしそうな目をした女の先生と 教室満タンの5~60人が少し節をつけてうたった。
リビアの政府軍も反政府軍や支援するフランス軍も
原発を作った人も その事故で村を出る人も
それを批判して報道する人も、批判されてる政府の人も、そのテレビを見ている人も (みんないいこ) だったににちがいない
ぼくたち 学校へ行ってる間に …ね
僕たちが学校へ行っている間、父さんや母さんは何してるんだろうな?
空気や水は汚れてきたけど、自然に汚れるかなー? 食べものだって心配だ
家へ帰ったら 父さんや母さんも 心配顔だ
皆して皆が逃げる時は、どこへ逃げたらいいの?
僕ら勉強を頑張るから、大きくなった時の居場所だけは確保しておいて!
変なものは残さなくてもいいからね
僕たち学校へ行ってる間に 父さん 母さん やっといてくれるよね
これは、想定外?
日本の国債が国民の預貯金を上回り格付けを下げ、世界経済に文字通り未曽有の衝撃を与えるのは時間の問題だろうと考えている。
2013年にかけての時限爆弾は大震災の処理も手伝って、一刻一刻時を早めるにちがいないと、経済のド素人の自分は勝手に予測しているのだが…
それは、2011国家予算を含め政治が繰り出す政策が長年景気対策の名で景気を悪化させ、財政再建の名で財政破綻を早めて来たからである。
あえて政治の責任と言ったのは与党や政府の繰り出す政策にとどまらず、全ての与野党の提起する政策が、言葉こそ違え本質的に同じで結果的には2013を早めることになるからである。
今回の大地震が(想定外)と言われるが、リーマンショック(未曽有の経済危機)も日本のバブル崩壊も、ある日突然であった。
そして、リーマンショックもバブルの崩壊も未だ渦中から抜け出せにどころか、ますます悪化させて今日に至ってる。
原発の情報が不明瞭なことが指摘されているが、金融や経済も変わらない。
格付け会社が証券を評価し格付けしてはじめてバブルがはじけ金融危機に陥るが、公的機関は公的資金を投入する段になってはじめて、金融機機関の金融機関の内実調査を始めるのはこれまでやってきた世界共通の方法。
公的機関であろうと金融機関の調査は法律的には規制されているのだろうが、公的資金の投入と引き換えに調査をしているのだから、できないわけではないし、今の法律がそうなっているだけで法律を変えればいつでもできる。
最も心配しているのは、マスコミやマスコミに登場する政治家や専門家が誰一人それを公の場で口にしない(できないのかもしれないが)ことである。
震災復興への財源論議でも、震災を大幅に上回るだろう経済大災害?との関係で語る人はいない。風評被害ならぬ経済のマイナスのアナウンス効果に配慮してのことかもしれないが、ことがことだけになぜか敢えて避けているようにすら見える。
これまで同様、またしても突如(超未曽有・超想定外)が起きるのを黙って待つことになるのだろうか?
補足(想定外ではパンデミック(疫病)も抱えている。)
敢えて問うと
敢えて、(お金)と(権力)は、どちらが支配的か?の問いの答えは一様ではないが、基本的なところでお金が権力をも支配する関係がさらに強まっているように思えてならない。
これだけの自然災害や人災を経験した直後にも関わらず、マスコミや災害復興へのやり方全体にそれを感じる。
【専門家】の役割
毎日テレビや新聞に次々【専門家】登場し発言し、ほとんどの国民はそれを鵜呑み(?)にして従っているのに、どうして社会はおかしい方に進むのか?
世界最高の借金、世界をあわてさせた原発事故、自殺大国と化した社会病理…今日も暴走に制御の兆しはなくひた走る。
高学歴化した今日、世に【専門家】は大いに増え、専門的知識を身にまとった人はかつてなく増加したが、不思議にも現実は良くなるどころか悪化し逆行しているようにすら見える。 ひょっとすると、【専門家】が間違っていないだろうか?
社会的な現象は【専門家】が言うように専門分野(他と切り離されたある分野のこと)の形で存在するだろうか?と考えてみた。
ある限定された範囲では専門的知識は有効であっても、社会で起きる出来事や現象は全体の中で存在し、他と切り離してある部分を取り出しそこを分析できるものはない。これは人体においても同様ではないか。
専門的知識を持っていようが持っていまいが最終的には全体的な関係を捉えるしかない。
専門的な知識と全体を把握する力(感覚)とは必ずしも一致しないどころか、特定の知識が全体認識の感覚を鈍らせることは日常生活で誰しも経験することである。
(無知の智)があってもいいと思うし、一般的にもよくみられる。
特別な教養や知識を持つものと持たない者を全体認識(メタ認識)で優劣で区別するのは民主主義の上からも実際的にも不合理ではないか。
だからと言って【専門家】や専門知識は不要でないがしろにしていいものではない。病気したら、誰だってお医者さんに診てもらう。
大事なのは、全体的視野と認識で専門家や専門的知識をどこでどう用いるかであり、マスコミが仕事としてある目的のために【専門家】の権威や専門的知識を利用しているのは本来ではないが、一方的にマスコミを非難できない社会的関係もあるからややこしい。
【投機筋】
【投機筋】の動きによって世界の金融も経済も左右されるから投機筋は国家権力をも従わせるような実権を握っていると言えるかもしれない。
投機筋はヘッジファンドとは無関係ではないが特定の組織ではなく何人も無関係な存在ではいられない。何よりも利益追求優先する活動や仕組を総称する抽象的な概念と考えた方が近いかもしれない。
(何よりも利益追求する)とは経済の発展とは関係なく、時には経済を壊しても利益を上げることが優先される。
投機筋は人間が自然をも支配出来るとする人間中心のハゲタカのような権化にも例えられ、財界も政界も学会もメディアをも支配出来る。何人もその影響を避けることが出lきないほどの巨大で強力な権力を想定すると、つじつまが合ってくるから不思議だ。
ここに至っても原発を止められない判断は国権以上の超権力のようなものを想定しないと理解し難い。
御用学者、御用メディア、御用政治家、御用財界人は超権力の男妾(元東京都知事 青島幸夫の言葉)か下請けが連想される。
メディアは露払い
どのメディアも被災の不満を東電たたきと政府たたきに向けているようだ。
やらせた 【安全よりカネ儲け】に走った人たちやシステムは免罪されウオール街の復興復活する足音と重なってくる。
マヒは進む
最近の報道を見ていると国【政府】は打ち出の小づちを持っているかのような物言いが政治家・専門家・メディア・国民など各界各層から湧き出ているように聞こえてくる。
国は900兆からの借金を抱えているぐらいだから,国にお金はない。日銀がどうしようと政府が税金をどうしようと、国民が出すことには変わりない。
そのことを国民は分かっているだろうか? マスコミはそれを伝えないからほとんどの国民はそのことを知らない。
我々は地球との基本的な関係を見失った上に執着している自分の懐のお金の動きまで分からなくなってきている。感覚マヒが日々の生活にまで及んでいないか? なんでこんない見えなくなっているのか?我々は 培養液【メディウム】で反応するようにできている。
メディウムを見抜き見透し騙されないようメディウムとの戦いあるのみ。
安全を言うなら先ず、停止。
東電の原発事故でドイツは3か月の原発停止を指示したが、未だに日本は停止せずマスコミはその動きを制するかのようだ。
あれだけの事故を起こし、安全を考えるなら同様な安全基準で進めている他の原発はとりあえず停止してチェックすべきでないか。
余震が続いているが直下型の地震がいつどこに来てもおかしくないと言う地震学者もいる。
本当に(想定外)だったと言うなら、即座に他の原発をとめて安全対策を講じるのは論理的に当然ではないか。ここにきても止めないのは想定外でなかったことを意味しないか?
トヨタの 車でも即座に世界的にリコールし製造停止と部品をとっかえたではないか。
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