私もヒト




だいたい 家(地球)を壊し崩れかけているのに 人は競争したり争っているような場合だろうか。

    オリンピックの祭りごとも良いし歌ったり踊ったり笑いこけてるのも良いけれど

     一体 子供たちは どうなるの どうする気?

      この世に 見たこともない生き物が出現した。 それは 種ヒト。私もその一人。 そんな感じがしないでもない。 
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予測し難い


昨日は青年座の「横浜」を観てきた。 きわどい悲喜こもごもの端々を浮かび上がらせるお芝居で十分楽しんだ。

  でもやっぱり 地上を舞台に人類が連日繰り広げる芝居の方が迫力があって面白い。
しかもこっちは 自分も端っこに登場している。 あらすじや役者を紹介したパンフレットは 入っていない。 だからかなおさら面白い。 

世界のちょっとした動きが 株価と為替を即座に変える。

   プーチン氏の訪日の波紋は 領土や経済援助だけではなさそう。 

     

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未熟な人格が為せる




万人が望む「 世界の平和と繁栄」は世界が経済や政治において一元的に協力して実現されるものであって、現在のように国や縄張りを中心に争っていては実現することは(論理的には)永久にあり得ない。

   世界の国々の掲げる平和国家や平和主義を阻んでいるのは 他者か己か? 己のせいにするのを聞いたことが無く、他人のせいにするところは イラついている自己中心の未熟な子供と同じ。多くのリーダーとエリートがこれに重なる。確かに偏差値や学歴社会では 人格教育は棚上げされてるから

総合的判断力は求められない。
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地上の波紋








有限な世界における物やお金の動きが 世界経済を一元化に向かわせるのは自然であって避けられない。

       この動きに政治は対応できないでいる。

        政治の波紋は 国家をも一部分とした世界内部の力関係の変化として現れる波紋だろう。

        テロや難民 北朝鮮の核 世界に広がるトランプ現象 TPPの失敗 プーチン氏の訪日も その文法に沿ったものだろう と思う。子孫に関わる事だから 放ってもおけないが、やがて経済が政治の一元化を促すのも自然の理だろう。


         

     
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個の意味が問われる時代





世界は 安全面では温暖化の進行と内戦に似た武力衝突、経済面では 市場の新興国への移動と 株高・米ドル高・米の金利高 EUの金融

緩和の続行が目立ち、政治的・社会的には 無気力と激情的な行動が合わせて目立つ。 

     国境を越えた動きの大きさが、これらの原因だが、やがて人の認識も追いつき 収まるだろうとは考えている。

     それにしても 公的な立場での不可解な動きや情報が多すぎる。 今こそ 個の意味が問われる時代なんだろう。

     

    

   
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 見渡しが悪い






これだけ言われてることと 現実に起きる結果が違っていると、 私たちが よっぽど見えない空間にいるんだなと ちくづく思う。
   
  物事が 言われている事や考えている事には依らず、事物の客観的な関係によって生起するのは 自然の道理。

     TPP・世界的なトランプ現象・経済成長・テロとの戦い・アベノミクス‥など 国の内外に起きている現象が 為政者やそれを宣伝するかのようなマスコミ報道、それを受けた巷の「うわさ」 とは あまりに違い過ぎる。

    「言葉」そのものに間違いは無いのだが、 社会的な意味での真偽は 立場や観測するスパンによって異なる。

       思いがけないことがこれほど多く目にするのは 情報空間が現実からかけ離れているからではないか。

        それにしても 世界を知り生きていくために欠かせない重要な事が 事実と違って報道したり、報道されないままになっているものが多過ぎる と思う。
    
         人は見渡しの良さを望むのに、実際は 見渡しの悪いところで蓋されてる感じ。

     
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 「戦争」の捉え方 


   

世界を見ていると、崩れかけてる家の中で 殴り合いの喧嘩をしているようだ。

     

     文芸評論家の斎藤美奈子氏のように 可愛く「バカみたい」と言えれば良いのだが、私には「カン違い?」ぐらいかな。

      

     
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必要なのは 全体的なカリキュラム




競争社会で人の活動が分化して来ると 担当したところを最大化させようとし、全体的な関係は崩れがちになる。
 
    学校はカリキュラムの効果を図って学習を強化し、親は最大の支援を促す。 

    それぞれは 責任を最大限に発揮すればするほど 子供の生活は バランスを失う。
    
     同様に成人も仕事によって生活は いびつになりがちである。


 子供からは 自ら成長する芽を奪合い 成人からは家族との生活や近所との付き合いを奪い 老人からは社会的責任を奪っていないだろうか。 
     
今必要なのは 子どもも成人も老人も (生活全体に幸せななる為の一貫した全体的なカリキュラム )ではないだろうか。
  誰も作ってはくれない。

      

     
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「私の中身は私が考える。」


      

高学歴社会が進むに従い 少子高齢化や経済の劣化をはじめとして国力の低下が目立つ。 

        高学歴で付けた学力やエリートの果たした結果を私たちは目の前にしている。

         皆は どうしようとしているんだろう? 全く見えない。
     
          原理原則を系統的に組み込んだ人間力を高める教育カリキュラムは 一体どんなだろう?

            この老人に必要なカリキュラムは どんなだろう?


              テレビを見たり 手遊びや 歌を教わっているだけではなさそうだ。 

「私の中身は私が考える」これがカリキュラムかなあ。 そうすると歌い方も変わってきそう。

          






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ポイント




    「グローバリズムに対するナショナリズムの台頭」そんな論調が見られるが 

     そうではなく これまでの「アメリカを中心にした世界秩序のバラつき」ではないか と思う。

     これまでの「世界秩序」の評価の如何は色々あろうが、さらにレベルアップするための必然的な脱皮だろうと 希望的に観測している。

      そんな想像を背景に 日米関係や国際関係の変化を見ている。


    
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