考え違い

人を中心に社会が成り立っている と一般的に考えられているのではないか。

この考え違いが今日を招いていると思われる。

ウクライナ コロナ 温暖化 インフレ 何れもこの考え違いに端を発している。今後も想定外のことが次々起きるだろうことは 既定の事実なり。

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己と他との究極的な関係

己は究極的には大自然と己の関係であり、山の頂上で山と己意外に物が存在しない関係と同じ。

芸術家でも政治家でもいいから そんな根っこから発する言葉が聞きたい。

己と他との究極的な関係が認識されていなかったら 物事 順調には行かない。今はそれ。

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個人的認識の大切さ

世の中が行き詰まり混乱しているのは 多くが感じているところだが、それが意味してることは

現状と社会的に構成され伝えられてる情報が 一致せず迷っていることだろう と思う。

社会的に構成される前の個人的な情報の有用性と表裏を成しており、個人的情報は「社会的に通用しない」と一蹴される傾向があるが 元来 社会は 個人的認識や情報が基になっている。

 

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歴史的検証

如何なる戦争も歴史的な検証を経て 全体像が明らかになる。

ウクライナ戦争も 今言われていることが歴史の検証に値するかどうかは 今は分からない。

社会の出来事の多くは その時代においては 歴史的な意味を違えて社会的に情報化され 理解されている場合が むしろ通常かもしれない。

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分断政治の行く方

必然的なグローバリゼーションは国内外の分断政治を後退させるだろう。 

 

 

 

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整理整頓

長年思い描いてきたもの4~5年前に目途が立ち、ここに来て極める気になった。

こんなことがあるとは 思いもしなかった!

ここは何処?  私は誰? 如何しよう? が見えて来た。

11月に米中リーダーの直接会談への「もしかしたら‥」の小さな期待!

 

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市民の情報に対する元々の立場

ジャーナリズムが世界をまとめて報道する力がないならば その中でも暮らさざるを得ない市民は 自らの手で情報を整理し発信することが 社会的に求められている と思う。

いつの時代も市民の立場は そういうものかもしれない。依存が常態化し自覚するのがが難しい。

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コミュニケーションの基本

ここは何処?私は誰? どうしよう?

これは 赤ちゃんから認知症に至るまで 全ての人に通底する問いかけだろう。

コミュニケーションの基本はここにあるかもしれない。

明るい話題はこの三者の関係から生まれる。 

明るい世界を明るく捉え明るく 素直に振る舞う ことかもしれない。能天気とは違う。

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世界の様子をまとめて伝えてほしい

経済 温暖化 コロナ 戦争 

これらのことは バラバラに報道はされるが まとめて現状を知らせるニュースは目にしない。

市民の一人一人は 全体的な環境の中で明日を予測して暮らしているのだから、その立場で取材し状況をまとめて報道する姿勢が欲しい。
これは 市民だけでなく 政府や政策にも影響し解決を遅らせてる。 情報機関が 権力の具にされているのは 問題外だろう。 

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現実には有りえないような 悪い夢を見ることもあれば良い夢を見ることもある。 この歳になって 夢も人生の一部かと思うようになった。

明日はもっと良い夢を見たいものだ。現実社会も似たものだ。 

 

 

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