昭和を代表するテレビのバラエティー番組に「シャボン玉ホリデー」がある。放送開始は昭和36年だ。主役は当時ナベプロが売り出していた双子のザ・ピーナッツで、ハナ肇とクレージーキャッツが脇を固めていた。多彩なゲストを交え、歌やトーク、コントという構成はその後の同種の番組のお手本になっている。番組の最後にザ・ピーナッツが歌う「スター・ダスト」でポピュラーソングの魅力に触れた人もいるだろう。
ザ・ピーナッツの妹の伊藤ユミさんが、5月18日に75歳で亡くなった。姉のエミさんは2012年に亡くなっているので今頃天国で一緒に歌っているのかも知れない。昭和34年に「可愛い花」でレコードデビューしてから引退する昭和50年までトップスターだった。双子ならではのバランスがとれた美しいハーモニーは勿論のこと、歌唱力は今時のぽっと出のアイドルでは足元にも及ばない。また提供される楽曲も洗練されたもので、これも来年になったら忘れられている最近のどれも同じに聴こえる曲とは格段の差がある。半世紀経った今でもザ・ピーナッツのヒット曲が歌い継がれているのはそこにある。
その実力は海外でも高く評価され、ドイツではEP盤が発売されている。それも1枚や2枚ではない。1964年から68年にかけて8枚もリリースされているのだ。しかもヒット曲にドイツ語の歌詞を付けた安易なものではなく、楽曲はドイツの作曲家のオリジナルであり、バックバンドはドイツの一流ミュージシャンだ。写真はそのEP盤の音源をCD化したもので、日本で録音したドイツ語の曲とドイツの放送で使われた音源も収録されている。ドイツ語の発音はよくわかないが、おそらくネイティブに近いものだろう。日本語、英語、ドイツ語、どの国の言葉で歌ってもあの完璧なハーモニーは変わらない。
二人が彗星の如く現れた昭和34年は「週刊少年マガジン」と「週刊少年サンデー」が同時創刊された年で、小型車の代名詞となる「ブルーバード」が日産自動車から発売されている。また、第1回レコード大賞が開催された年で、カラーテレビが登場した年でもある。伊藤ユミさんと前後して永六輔さんと大橋巨泉さんも亡くなった。テレビ文化を育てた人たちである。ご冥福をお祈りするとともに昭和の良い時代に生まれたことに感謝したい。
ザ・ピーナッツの妹の伊藤ユミさんが、5月18日に75歳で亡くなった。姉のエミさんは2012年に亡くなっているので今頃天国で一緒に歌っているのかも知れない。昭和34年に「可愛い花」でレコードデビューしてから引退する昭和50年までトップスターだった。双子ならではのバランスがとれた美しいハーモニーは勿論のこと、歌唱力は今時のぽっと出のアイドルでは足元にも及ばない。また提供される楽曲も洗練されたもので、これも来年になったら忘れられている最近のどれも同じに聴こえる曲とは格段の差がある。半世紀経った今でもザ・ピーナッツのヒット曲が歌い継がれているのはそこにある。
その実力は海外でも高く評価され、ドイツではEP盤が発売されている。それも1枚や2枚ではない。1964年から68年にかけて8枚もリリースされているのだ。しかもヒット曲にドイツ語の歌詞を付けた安易なものではなく、楽曲はドイツの作曲家のオリジナルであり、バックバンドはドイツの一流ミュージシャンだ。写真はそのEP盤の音源をCD化したもので、日本で録音したドイツ語の曲とドイツの放送で使われた音源も収録されている。ドイツ語の発音はよくわかないが、おそらくネイティブに近いものだろう。日本語、英語、ドイツ語、どの国の言葉で歌ってもあの完璧なハーモニーは変わらない。
二人が彗星の如く現れた昭和34年は「週刊少年マガジン」と「週刊少年サンデー」が同時創刊された年で、小型車の代名詞となる「ブルーバード」が日産自動車から発売されている。また、第1回レコード大賞が開催された年で、カラーテレビが登場した年でもある。伊藤ユミさんと前後して永六輔さんと大橋巨泉さんも亡くなった。テレビ文化を育てた人たちである。ご冥福をお祈りするとともに昭和の良い時代に生まれたことに感謝したい。
ザ・ピーナッツはジャズセンスも良く、1966年に出演した「エド・サリヴァン・ショー」では、「Lover, Come Back to Me」を歌っております。何でもベスト3、今週はザ・ピーナッツのお気に入りのヒット曲をお寄せください。
管理人 The Peanuts Best 3
恋のバカンス
ウナ・セラ・ディ東京
ふりむかないで
発売したシングル盤、LP盤の累計売上は1000万枚以上だそうです。
ザ・ピーナッツ「情熱の花」
https://www.youtube.com/watch?v=CW9IZPYn1kg
華がありますね
こんばんは
歌の上手さでは群を抜いていた2人、
引退も遠い昔のようになりました。
私の中の上位ランキングもdukeさんに紹介頂いた3曲ですが、
昭和34年のデビュー曲である「可愛い花」と、「情熱の花」、
それに41年の「ローマの雨」も印象に残っています。
シドニー・ベシェのオリジナルである可愛い花(Petite Fleur)は、クラリネット演奏のものも良いですよね。
実は、僕の家は、テレビを買ったのが遅く、シャボン玉ホリデーは観たことがないかもしれません。したがってザ・ピーナッツのヒット曲もリアルタイムでは聴いていません。
しかし、手持ちには、ザ・ピーナッツのCD3枚とオムニバスCD、EPも何枚かありました。オールディーズもよくて、ピーナッツの歌う「ジョニー・エンジェル」や「シェリー」、「そよ風にのって」なんてのもいいです。で、お題のヒット曲はリアルでは知りませんが、CD収録の中から、
ウナ・セラ・ディ東京
可愛い花
恋のフーガ
を挙げてみます。宮川秦作曲の「ウナ・セラ・ディ東京」はジャパニーズスタンダードといっていい、モダンな名曲だと聴くたびに思います。誰がうたってもいいですね。
ザ・ピーナッツの引退は昭和50年でした。西暦でいうと1975年、日本では「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が流行った年でした。また、マイルスが3度目の来日をした年でフュージョンが全盛でした。音楽が大きく変わる転換期だったのかも知れません。
「可愛い花」も「情熱の花」もカヴァーでしたが、完全にザ・ピーナッツの歌になっておりました。歌唱力とセンスのなせる技でしょう。
「ローマの雨」は大人の雰囲気ですね。
Petite Fleur はクリス・バーバーがお薦めです。
世代的にザ・ピーナッツのヒット曲はリアルタイムで聴いていないかも知れませんね。私は毎週日曜日だけはテレビを観ておりました。シャボン玉ホリデーの後は日曜洋画劇場を観て、ラジオの「ミッドナイト・ジャズ・レポート」を聴くというのが中高生のときの日曜日の過ごし方でした。
ウナ・セラ・ディ東京、タイトルがいいですね。「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」や「ラブユー東京」等、組み合わせタイトルはヒットするようです。
恋のフーガもヒットしましたね。私が中学生になったころです。この曲で遁走曲という楽曲形式を知りました。
オールディーズ・ナンバーも得意とするところでピタリとはまっておりました。浪花節的思考だとこうはいきません。シャボン玉ホリデーで随分洋楽を勉強しました。
The Peanuts、良い歌を沢山唄っていますよね!そして二人のユニゾンがとても良い感じです。
お勧めは「スター・ダスト」です、断トツの1&Onlyです。
「シャボン玉ホリデイ」そのクロージング曲が「スター・ダスト」。
The Peanutsが唄い、ハナ肇がチャチを入れ、ロス・インデオス・タバハラスのギターでフェードアウトする「スター・ダスト」。
今でも「スター・ダスト」フリークオヤジですが、この曲のベストに挙げちゃいます。 曲の演奏の良さと個人的な時代の思い出が加わってますけど・・・御勘弁の程!
「ひょこりひょうたん島の井上ひさしさん」「夢で会いましょうの永六輔さん」「11PMの大橋巨泉さん」・・・昭和は遠くなりにけり。
スター・ダストを歌うザ・ピーナッツの後ろでハナ肇がギャグを入れ、肘鉄砲、いつものお約束ですが、水戸黄門の印籠のようにこれがなければ締まりません。毎週楽しみな番組でした。
たまたま来日していたホーギー・カーマイケルがテレビでザ・ピーナッツのスター・ダストを聴いて、番組に出演したこともありました。作者も納得の歌唱だったのでしょう。
訃報が続き、仰るように昭和は遠くなりにけりですが、この時代の歌は今も歌い継がれております。昨夜はデイ・バイ・デイのオープンマイクでしたが、黒岩静枝さんのレッスン生が歌う曲はスタンダードばかりです。良い曲は時代を超えておりますね。
The Peanuts Best 3
ウナ・セラ・ディ東京
可愛い花
スター・ダスト
映画化もされた大ヒット曲「ウナ・セラ・ディ東京」、デビュー曲の「可愛い花」、そしてシャボン玉ホリデーのエンディングテーマ「スター・ダスト」が人気でした。
今宵はザ・ピーナッツを偲んでお気に入りのヒット曲を聴きましょう。