何をしたのか知りませんが、京都府立医大の学長がNHKのニュースで謝っていました。日本人は、どうして公用地になったのか、もとい、どうしてこう幼稚になったのか。TVニュースの謝罪会見に接する度に思います。
いつから幼稚になったのでしょうか。大学生やサラリーマンが人前でマンガを堂々と読むようになった頃? いまや呑み会後のカラオケでアニメの主題歌を合唱するし、会社のデスクにフィギアが置いてあります。かつて、昭和世代のオヤジたちが、碁や将棋の本を読み耽り、宴会では戦争に行ってもいないのに軍歌を歌うのとあまり変わりないと思います。
うん、この、「思います」という云い回しも幼稚です。「~したいと思います」なら、園児並みです。幼稚のはじまりとしてはっきりいえるのは、TVが普及してからだということです。音痴が出てくる歌番組や内輪ネタばかりのお笑い、立ち聞きとのぞき見で筋が運ぶドラマとか、昔も今も、くだらない番組が多いですからね。
いえ、お堅いといわれるニュース番組のせいです。NHKをはじめ、ニュース番組で謝罪会見の様子が報じられるようになってからです。これははっきりしています。問題や不祥事を起こした役所や会社の責任者が、「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」とTVのフレームのなかで謝るようになってからです。
僕が少年時代、中学や高校生のとき、TVに出て謝罪する責任ある立場の大人は、「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」とはいいませんでした。男は公式には頭を下げないものだということを彼らから僕は学びました。「謝罪を申し上げる」。これで終いでした。それで謝罪したことになりました。
胸を張って堂々と謝罪文を読み上げ、辺りを睥睨するように、「深く謝罪を申し上げる」とかえって偉そうな人もいました。いまでは、「心より謝罪を申し上げます。すみませんでした」、あるいは「申し訳ありませんでした」と、すぐにつなげて、頭を下げなければなりません。職員室で先生から叱責された生徒みたいです。
たぶん、「申し上げるといったのに、まだ謝まっていないじゃないか」と記者か被害者にいわれて、なるほど、「これから申し上げる」ということだったかと納得して、「すみませんでした」と薄くなった頭頂部を晒すことになったのでしょう。口汚い言葉を使って恐縮ですが、云う方も云われて応じる方も、バカとしか云いようがないですね。
この場合、「申し上げる」と言葉を発したとたんに、「申し上げた」ことになるのです。「すみませんでした、申し訳ありませんでした」という場合は、「謝罪を申し上げます」はむしろ余計です。「これこれしかじかで、私が悪うございました、すみませんでした、申し訳ありませんでした」となるはずですから、不要です。
こちらの方が率直で好感が持てるかもしれませんが、たいていの謝罪会見は、電車で女子高生のスカートの中を携帯で盗撮して逮捕されたために、開かれるものではありません。役所や会社という組織の犯罪や不祥事、過失、怠慢、不作為などについて、当事者や直接の関係者ではなく、責任ある立場の人が代表として出てきて、謝罪するものです。
組織として謝罪するのですから、謝ることだけが目的ではないのです。謝罪することによって、法的責任をはじめ相応の不利益を甘受しますという決意を示し、たとえば賠償もしますという表明なのです。「ゴメンですめば警察はいらない」を肝に銘じた組織人として、男らしく凜々しく振る舞う場なのです。
それがいつの間にやら、おっさんが雁首そろえて、「すみませんでしたー」と一斉に頭を下げるようになりました。「謝ってるんですから、許してね」といわんばかり。もちろん、会社の代表として、「謝罪を申し上げる。以上」では済まないほど、重大な過失や損失を国民や顧客に与えてしまった。型どおりの謝罪では済まないという場合もあるでしょう。
もしかすると、この謝罪がTV謝罪の悪しき先例になったのかもしれません。だとすれば、皮肉なことです。なぜならば、この「古武士」然とした謝罪の一幕は、当時、少なからぬ国民に感動を呼び起こしたからです。
戦後を代表する大物財界人の一人だった岡崎嘉平太が全日空の社長だったとき、昭和41年(1966)に羽田沖墜落事故が起きました。岡崎嘉平太社長は、謝罪文を読み上げた後、遺族席の前に進み出て、老齢の身体を跪かせ土下座して詫びたのです。男が本当に謝罪するときは、土下座するか、切腹するか、いずれかしかなかったのです。幼稚な「すみませんでした」など入り込む余地はなかったわけです。
周恩来と会談する岡崎嘉平太(左)。戦前の上海を舞台に、汪兆銘の南京国民政府と蒋介石の中華民国当局、いずれも日本側交渉担当者だった岡崎は、戦後は日中国交回復に尽くした。
しかし、かくいう私も、過去に一度、この幼稚な謝罪をしたことがあります。ネットの掲示板上のことですが、私は失策を犯しました。そこで謝罪の書き込みをしたのですが、事実関係を要約して、「○○さんにお詫びを申し上げます。すみませんでした」と書きました。不要な「すみませんでした」を加えたのは、「潔さ」を印象づけるためには必要だと思ったからです。
つまり、これ以上、この問題に触れないでくれというものでした。過失に対する罪や罰を引き受けるのではなく、そこで断ち切るために「潔さ」というカードを切ったわけです。対手や場に対する謝罪という目的が転倒しています。それはやはり追いつめられたと怯え、自己を守ろうとするものです。大人の幼稚とは、怯懦からはじまるようです。あるいは、怯えた子どもの頃に戻りたいという機序かもしれません。
(敬称略)
いつから幼稚になったのでしょうか。大学生やサラリーマンが人前でマンガを堂々と読むようになった頃? いまや呑み会後のカラオケでアニメの主題歌を合唱するし、会社のデスクにフィギアが置いてあります。かつて、昭和世代のオヤジたちが、碁や将棋の本を読み耽り、宴会では戦争に行ってもいないのに軍歌を歌うのとあまり変わりないと思います。
うん、この、「思います」という云い回しも幼稚です。「~したいと思います」なら、園児並みです。幼稚のはじまりとしてはっきりいえるのは、TVが普及してからだということです。音痴が出てくる歌番組や内輪ネタばかりのお笑い、立ち聞きとのぞき見で筋が運ぶドラマとか、昔も今も、くだらない番組が多いですからね。
いえ、お堅いといわれるニュース番組のせいです。NHKをはじめ、ニュース番組で謝罪会見の様子が報じられるようになってからです。これははっきりしています。問題や不祥事を起こした役所や会社の責任者が、「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」とTVのフレームのなかで謝るようになってからです。
僕が少年時代、中学や高校生のとき、TVに出て謝罪する責任ある立場の大人は、「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」とはいいませんでした。男は公式には頭を下げないものだということを彼らから僕は学びました。「謝罪を申し上げる」。これで終いでした。それで謝罪したことになりました。
胸を張って堂々と謝罪文を読み上げ、辺りを睥睨するように、「深く謝罪を申し上げる」とかえって偉そうな人もいました。いまでは、「心より謝罪を申し上げます。すみませんでした」、あるいは「申し訳ありませんでした」と、すぐにつなげて、頭を下げなければなりません。職員室で先生から叱責された生徒みたいです。
たぶん、「申し上げるといったのに、まだ謝まっていないじゃないか」と記者か被害者にいわれて、なるほど、「これから申し上げる」ということだったかと納得して、「すみませんでした」と薄くなった頭頂部を晒すことになったのでしょう。口汚い言葉を使って恐縮ですが、云う方も云われて応じる方も、バカとしか云いようがないですね。
この場合、「申し上げる」と言葉を発したとたんに、「申し上げた」ことになるのです。「すみませんでした、申し訳ありませんでした」という場合は、「謝罪を申し上げます」はむしろ余計です。「これこれしかじかで、私が悪うございました、すみませんでした、申し訳ありませんでした」となるはずですから、不要です。
こちらの方が率直で好感が持てるかもしれませんが、たいていの謝罪会見は、電車で女子高生のスカートの中を携帯で盗撮して逮捕されたために、開かれるものではありません。役所や会社という組織の犯罪や不祥事、過失、怠慢、不作為などについて、当事者や直接の関係者ではなく、責任ある立場の人が代表として出てきて、謝罪するものです。
組織として謝罪するのですから、謝ることだけが目的ではないのです。謝罪することによって、法的責任をはじめ相応の不利益を甘受しますという決意を示し、たとえば賠償もしますという表明なのです。「ゴメンですめば警察はいらない」を肝に銘じた組織人として、男らしく凜々しく振る舞う場なのです。
それがいつの間にやら、おっさんが雁首そろえて、「すみませんでしたー」と一斉に頭を下げるようになりました。「謝ってるんですから、許してね」といわんばかり。もちろん、会社の代表として、「謝罪を申し上げる。以上」では済まないほど、重大な過失や損失を国民や顧客に与えてしまった。型どおりの謝罪では済まないという場合もあるでしょう。
もしかすると、この謝罪がTV謝罪の悪しき先例になったのかもしれません。だとすれば、皮肉なことです。なぜならば、この「古武士」然とした謝罪の一幕は、当時、少なからぬ国民に感動を呼び起こしたからです。
戦後を代表する大物財界人の一人だった岡崎嘉平太が全日空の社長だったとき、昭和41年(1966)に羽田沖墜落事故が起きました。岡崎嘉平太社長は、謝罪文を読み上げた後、遺族席の前に進み出て、老齢の身体を跪かせ土下座して詫びたのです。男が本当に謝罪するときは、土下座するか、切腹するか、いずれかしかなかったのです。幼稚な「すみませんでした」など入り込む余地はなかったわけです。
周恩来と会談する岡崎嘉平太(左)。戦前の上海を舞台に、汪兆銘の南京国民政府と蒋介石の中華民国当局、いずれも日本側交渉担当者だった岡崎は、戦後は日中国交回復に尽くした。
しかし、かくいう私も、過去に一度、この幼稚な謝罪をしたことがあります。ネットの掲示板上のことですが、私は失策を犯しました。そこで謝罪の書き込みをしたのですが、事実関係を要約して、「○○さんにお詫びを申し上げます。すみませんでした」と書きました。不要な「すみませんでした」を加えたのは、「潔さ」を印象づけるためには必要だと思ったからです。
つまり、これ以上、この問題に触れないでくれというものでした。過失に対する罪や罰を引き受けるのではなく、そこで断ち切るために「潔さ」というカードを切ったわけです。対手や場に対する謝罪という目的が転倒しています。それはやはり追いつめられたと怯え、自己を守ろうとするものです。大人の幼稚とは、怯懦からはじまるようです。あるいは、怯えた子どもの頃に戻りたいという機序かもしれません。
(敬称略)