コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

まさよし、元気か?

2010-08-25 00:25:00 | 新刊本
売れているらしい。NHKで放映されて話題を呼んだのがきっかけらしい。「これが、ハーバード大学史上最多の履修者数を誇る名講義」と帯にある。『これからの「正義」の話をしよう-いまを生き延びるための哲学』(マイケル・サンデル 早川書房)を買ってしまった。

ハーバード大学の議論といえば、当ブログでも、<2010/6/4 おもしろうてやがておそろしきhttp://moon.ap.teacup.com/applet/chijin/201006/archiveで、かなりがっかりしたわけだが、今度はどうだろうという期待があった。学部学生向けだから、たしかに読みやすい(しかし、いい歳をして、大学の学部レベルの本しか読めない俺って、かなり情けなくね。ついに専門性とは無縁か)。



原題は、<Justice  Whats the Right Thing to do?>。そういえば、スパイク・リー監督に、『ドゥ・ザ・ライト・シング』(Do the right thing 1989)という映画があった。My Favorite Things の場合は、「私のお気に入り(の事や物)」なので、複数形のSがつくわけだが、この本も映画も Thing と単数形だ。定冠詞のtheが付いているから、正しい行い、という意味か。

映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』は、イタリア系米国人のピザ屋のおやじ(ダニー・アイエロ) が、「ブルックリンの黒人のガキどもは、俺の店のピザを食って大きくなったんだ、コノヤロ」と街を愛するがゆえに、「黒人の不良ガキども」に、「Do the right thing!」と怒鳴る場面が印象に残った。

ハーバードの学部生に、30年間「正義」について講義してきたサンデル先生なら、このピザ屋のおやじの「正義」をどのように分析するか。もう一度、スパイク・リーの監督デビュー作である『ドゥ・ザ・ライト・シング』を観直したくなった。

ベンサムやJ・S・ミルの最大多数の幸福をめざす功利主義を批判し、カントやロールズ、ノージックのリベラリズムの欠陥を指摘し、アリストテレスに遡り、その道徳的市民論に再評価をくわえるという構成。現代アメリカから豊富なトピックを縦横に駆使して、正義の行方を見据えようとしている。

サンデル先生の立場は、「物語る存在、位置ある自己」を「私たちの本性」とする、いわば、「共同体主義物語派」(コタツの命名)。市民道徳の再構築を呼びかけて講義は終了する。なるほど、ピザ屋のおやじの「ドゥ・ザ・ライト・シング」の怒鳴り声は、紹介されたどの思想にも当てはまり、どの思想にも、ぴったりとは重ならない。

とりあえず、明日は休みのことだし、連日の猛暑によって、我が家では、「洗濯の自由」だけは充分に保証されている。洗濯物を干しながら、母親の面倒も看ないというほど共同体が空虚化しているのに、ボランティアに励めといわれてもなあ、という問題について考えてみよう(この項続く)。

(敬称略)

My Favorite Things 

2010-08-23 01:32:00 | ノンジャンル
このシリーズはどれも好きだが、とくにこの2点がかわいいな。



ジョン・コルトレーンの演奏が有名だが、とコルトレーン以外を探してみたのだが、ほとんどない、コルトレーンの動画も、ほとんど同じ、もちろん演奏はそれぞれ違うけれど。いまでは、JR東海の「そうだ、京都へ行こう」のテーマ曲として知られているかもしれないが、貼り付けできない。いろいろ聴いてみたが、下がいちばん○だった。音が大きいところもいい。



猫の名前はすぐに変わる

2010-08-19 17:19:00 | ノンジャンル


当初の名前はサルトルでした。貧相で醜い顔をしていたからでしたが、どこか思慮深い表情を見せたことも命名の理由でした。成長するにしたがい、ブギャー、ブギャーと悪声で啼きだし、ドアを開けるまで単調に続く騒音が、サッカーW杯南アフリカ大会でおなじみになったブブゼラによく似ていたので、以降、ブブゼラと呼ばれています。この♂猫が、貧弱な身体にデカ頭という見かけによらず、ハンターの才能を発揮し、ゴキブリ、バッタ、カナブン、そして最近は、死にかけのセミをくわえてくるのです。一晩に数匹も。ジジジとモーター仕掛けのように回転するセミを前にして、目くそがついた瞳で見上げるブブゼラに、「ノー、とる、ダメ、ネ、セミ、これ、ダメ、ネ、セミ」と、以前は、サルトルでしたから、片言の英仏語風に諭すのですが、もちろん彼にわかるわけもなく、他の猫も加わった深夜のセミサッカーに悩まされている次第。で、最近の綽名が、「ノートルダメのセミ死男」というわけです。ま、それだけの話ですが。

(敬称略)



母をたずねて三千円

2010-08-19 01:50:00 | ノンジャンル


グループホームに居室を移した母は
存外、健康で清潔だった
髪にも櫛を通した跡があった
職員たちと母に分けた
フルーツゼリー菓子の包みを出し
冷蔵庫で冷やしてもらうように頼むから
と説明する
母の部屋は個室だが冷蔵庫はない
食生活を管理する仕組みなのだろう
別に買ってきた
小さなシュークリームを食べさせた
あまり旨くなかった

しばらくして
死ぬのが怖い
と母は言った
やっぱり死ぬのは怖いか
と私は尋ねた
怖いよお
そうだな、死ぬのは怖いよな
どうなるかわからないものな
俺はまだ考えたことないけど
早く死にたいよ
死ぬのが怖いから、死にたいわけか
母は一瞬、虚をつかれた表情をした
誰かあたしを殴り殺してくれたらいいのに
お前が殺しておくれよ
まだ論理矛盾はわかるらしい
と安心した

ほかのみんなとはうまくいっているかい
外交辞令やお世辞が苦手な母だった
無理をしてそれを言おうとすれば
怒鳴るようになり
相手を困惑させてしまう
うまくやっているよ
だけど、ときどきは当たる人もいるからね
○○子さんが服を買ってきてくれて
それに着替えたりすると
やっかむ人もいてね
だから、早くここを出たいんだけどね
弟もその嫁さんも
ちょくちょく来てくれているようだ

トイレは自分でできるのか
うん、できる
母は少し胸を張った
死にたいって嘆くほどひどい身分じゃない
と思うけどね
母は俯いた顔を上げてこちらを見やった
その小さく埋もれた瞳の奥を見入った
言い返すことは許さない
言い返すことは許されない
と知った母はまた俯いた

じゃ、涼しくなったら、外に出てみるか
とたんに母の瞳に喜色が浮かんだ
どこも具合が悪くなくて、
トイレも介添えすれば自分でできるなら、
どこでも出かけられるものな
うん、お父さんの墓参りも一度もしてないし
近くでいいから行きたいね
それまでは生きていたいと思っていられるよ
声に明るい張りが戻った

墓参りに行って、あとは温泉か
この辺りなら、七沢温泉か鶴巻温泉
鶴巻温泉が近くていいか
日帰り入浴でも、貸し切り湯がなければ
二人では入れない
ちょっと調べてみるか
そんなことを考えていると
母は耳掻きを使っていた
届かないのか顔を顰(しか)めている
ペン立てには耳掻きが五本もささっている

TVのある食堂兼ホールで
三時のおやつの和菓子から
好きな物を選べる権利をかけた輪投げゲームに
母と一緒に参加してからホームを辞した
一時間半
土産代三千円
八十六歳
秋までは
また行方不明老人となる母に
じゃ、またな
と虚ろに告げれば
ありがとうね
と小さな声が返ってきた
俺は何かをわずかに憎んだ

厄介な本

2010-08-15 01:32:00 | ブックオフ本
積ん読が十冊以上もたまっているのに、ちょっとやっかいな本を買ってしまった。『世界大不況からの脱出』(ポール・クルーグマン 早川書房)のことではない。「第3章 日本がはまった罠」は読みやすい。日本の経済成長やその基盤について、かのノーベル経済学賞を受賞した学者から、私たちが俗説ではないかと疑っている言説が繰り返されるから、とても読みやすい。なにせ、入口が、ベストセラーになったエズラ・ボーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だからね。しかし、肝心の日本が陥ったとされる「流動性の罠」について、日本の事例を扱うのではなく、アメリカの協同組合を事例にしているのには、がっかり。久しぶりの経済の本で、クルーグマンという本命に振られた気がしたので、無印の『リスク -神々への反逆』(P・バーンスタイン 日経ビジネス文庫)を買ってしまった。原題は、<AGAINST THE GODS-THE REMARKABLE STORY OF RISK>。上下2巻。表紙カバーの紹介はこうだ。

人類は神々に逆らってリスクの謎に挑み、やがて科学やビジネスのあり方を一変させてきた・・・。一賭博師からノーベル賞学者まで、リスクに闘いを挑んだ歴史上の天才・異才たちの愕くべきドラマを壮大なスケールで再現した全米ベストセラー、待望の文庫化(上巻)。

古代ギリシャから筆を起こし、パチョーリ、パスカルらのパズル解明、確率論の発見、ルネッサンス、宗教改革による思想の自由化、保険の仕組みの考案など、数千年におよぶリスク探求の営みがここに蘇る! 全米の知識人・書評子に絶賛された現代人必読の名著(下巻)。


もっとも苦手な、数学を基礎とした統計論とか確立論が出てきそうで、俺には読み通すのが厄介そうだなと思ったが、「全米ベストセラー」「現代人必読の名著」が623頁もあって、たった400円というお得感が勝った。しかし、厄介そうだなあと億劫がりながら眺め回していると、気になるところが妙に目につく。なぜ、一神教なのに、<GODS>と複数形なんだろうとか、「神々への反逆」の神々とは八百万の「神々」なのになあとか、どうして医師と同じく賭博師には師がつくのだろうとか、かつて医師は賭博師なみに社会的地位が低かった時代があるのかなあ、とか、読みはじめず足踏みするところを探している始末。なんとか、今年中には読了したいものだ。

(敬称略)