コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

次々に明るみに出るぬかるみ

2013-07-17 01:33:00 | ノンジャンル
中国人乗客の多い韓国機に搭乗するときは、覚悟すべきなんだろうか。

<アシアナ機事故>元教官がパイロット養成の内幕を明かした衝撃的メール!―ドイツ紙
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130715-00000007-rcdc-cn

パイロットの飛行記録とは操縦席に座った時間だと誰でも思うが、韓国ではそうではないらしい。事故を起こしたアシアナ機にも、3人のパイロットが乗務していたが、一人は客席にいたそうだ。そのうち、飛行記録何時間、フライトシミュレーター歴何時間と記録内容が変わるかもしれない。韓国のロビー活動は優秀だから。


着陸後すぐに炎上したアシアナ機と乗客

アシアナ機事故、脱出時に荷物抱えた中国人画像で論議
http://www.cnn.co.jp/world/35034591.html?ref=yj

避難訓練マニュアルでは、避難時間の単位は秒分単位だから、手荷物はもちろん、スーツケースなどを持ち出すのは論外なのだが、中国人乗客に徹底させるのは難しいようだ。持ち出せる余裕があるなら当然だろ、というのは最近では日本人にも増えていそうだが。

もう20年近く前になるが、シベリア鉄道に乗るために、アエロフロートで新潟からハバロフスクへ飛んだときも、乗客の振る舞いに驚いたことがある。まだ飛び立ったばかり、機は平衡すら保っていないのに、当然、シートベルト解除のサインも出ていないにもかかわらず、ロシア人や中国人の乗客はタバコくわえて酒瓶を手に、仲間の座席をよろよろゲハゲハ笑い歩いていた。スチュワーデスも見て見ぬ振り。日本の常識は世界に通用しないことを10分も経たないうちに思い知らされたものだ。まさかいまではそんなことはないだろうが。
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今夜は弘田三枝子

2013-07-16 00:12:00 | 音楽
最近では、夏の歌手といえば誰なんだろ。ちょっと前なら、TUBEの前田とかいうのが有名だったことは知っている。やたら暑苦しいやつだったな。デビューの頃サザンの桑田もアロハシャツのイメージがある。さらに昔なら、なんといっても南佐織だったな。この人くらい、ギンガムチェックの木綿のワンピースが似合う人もいなかった。

さらに大昔になると、 弘田三枝子が第一人者でした。この人の「ヴァケイション」というヒット曲のおかげで、小学校低学年ながら、「ぶいええすぃええてぃあおえぬ ♪」とスペルを覚えられたものだ。このほかにも、夏らしいパンチの効いたヒット曲があるのだが、たぶん、夏にはすでにうんざりしているでしょうから、少し涼しくなったあたりの歌です。

砂に消えた涙  弘田三枝子



弘田三枝子は天才的な歌手なのでカバーする人は少ないのですが、さすがに矢沢は自分の歌にしています。


砂に消えた涙  矢沢永吉



弘田三枝子の「砂に消えた涙」は最近歌ったものですが、声が出ているのに驚きます。第二次大戦後、戦勝国の代表となったアメリカの威勢のおかげで、ハリウッド映画やジャズ、ポップス音楽が世界を席巻しました。

当時、アメリカンポップスの人気歌手だったコニー・フランシスの亜流が各国で生まれました。「砂に消えた涙」の元歌はイタリアで、ミーナという歌手が歌いました。

次は、若き日の弘田三枝子の録音です。やはりイギリスのコニー・フランシスであるヘレン・シャピロの YOU DON'T KNOW のカバーです。弘田三枝子の現在と若い頃、カバーと元歌を聴き比べてどうでしょうか?

悲しき片想い  弘田三枝子



検索してみると、弘田三枝子はこれまでジャズやロック、R&Bなどのナンバーも歌っているようです。美空ひばりのジャズを聴いて見直したり、オペラを歌う布施明に感心するのと同じ企画ですね。座興としてならそれなりに楽しめますが、あまりピンときません。「音楽に国境はない」とは、そんな簡単なことなのでしょうか。「コラボレーション」とか、じつは安易な思いつきのくせに、むりくりな商売が上乗せされたような気がします。

東大に入れる偏差値なら、ハーバートやMITを目指せと尻を叩く受験予備校と似た音楽プロデュースに思えます。もちろん、弘田三枝子もアメリカンポップスの焼き直しですが、日本語で歌うという制限を逆手にとって、べつのポップス歌謡にしています。しかも、歌唱のスケールや恋の味わい深さにおいて、元歌を凌駕しています。だから、いま聴いても懐メロにならない。そうは思いませんか。思わない? こりゃ、困ったな。

(敬称略)
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バカバカいうほうがバカじゃ

2013-07-14 08:35:00 | 3・11大震災
ネットを読んでいると、鳩山元首相と菅直人元首相はアホバカマヌケゴミカスキチガイのようにいわれているわけだが、おいらへそ曲がりなので最近のお二人の発言を。ふんふん、しごく、まっとうじゃないか。

菅直人元首相、3.11 原発事故当時について、ユーザーからの質問へ回答ツイート
http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/10/naoto_kan_twitter_n_3571118.html

じぇじぇ、「メルトスルー」しているんだなやっぱり。

日本が尖閣を盗んだ? 鳩山元首相がその真意を激白
http://nikkan-spa.jp/472646

史資料に目を通した人の話を聴くと、尖閣も竹島も日本は有利だそうだが、争点はあるそうだ。つまり、100%日本てわけじゃない。

鳩山元首相と菅直人元首相をアホバカマヌケゴミカスキチガイのように云う人の書き込みを読むと、それでも君よかはるかにマシじゃね、ゼッテー、としんみり思うな。
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幼稚日本

2013-07-12 00:37:00 | ノンジャンル
何をしたのか知りませんが、京都府立医大の学長がNHKのニュースで謝っていました。日本人は、どうして公用地になったのか、もとい、どうしてこう幼稚になったのか。TVニュースの謝罪会見に接する度に思います。

いつから幼稚になったのでしょうか。大学生やサラリーマンが人前でマンガを堂々と読むようになった頃? いまや呑み会後のカラオケでアニメの主題歌を合唱するし、会社のデスクにフィギアが置いてあります。かつて、昭和世代のオヤジたちが、碁や将棋の本を読み耽り、宴会では戦争に行ってもいないのに軍歌を歌うのとあまり変わりないと思います。

うん、この、「思います」という云い回しも幼稚です。「~したいと思います」なら、園児並みです。幼稚のはじまりとしてはっきりいえるのは、TVが普及してからだということです。音痴が出てくる歌番組や内輪ネタばかりのお笑い、立ち聞きとのぞき見で筋が運ぶドラマとか、昔も今も、くだらない番組が多いですからね。

いえ、お堅いといわれるニュース番組のせいです。NHKをはじめ、ニュース番組で謝罪会見の様子が報じられるようになってからです。これははっきりしています。問題や不祥事を起こした役所や会社の責任者が、「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」とTVのフレームのなかで謝るようになってからです。

僕が少年時代、中学や高校生のとき、TVに出て謝罪する責任ある立場の大人は、「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」とはいいませんでした。男は公式には頭を下げないものだということを彼らから僕は学びました。「謝罪を申し上げる」。これで終いでした。それで謝罪したことになりました。

胸を張って堂々と謝罪文を読み上げ、辺りを睥睨するように、「深く謝罪を申し上げる」とかえって偉そうな人もいました。いまでは、「心より謝罪を申し上げます。すみませんでした」、あるいは「申し訳ありませんでした」と、すぐにつなげて、頭を下げなければなりません。職員室で先生から叱責された生徒みたいです。

たぶん、「申し上げるといったのに、まだ謝まっていないじゃないか」と記者か被害者にいわれて、なるほど、「これから申し上げる」ということだったかと納得して、「すみませんでした」と薄くなった頭頂部を晒すことになったのでしょう。口汚い言葉を使って恐縮ですが、云う方も云われて応じる方も、バカとしか云いようがないですね。

この場合、「申し上げる」と言葉を発したとたんに、「申し上げた」ことになるのです。「すみませんでした、申し訳ありませんでした」という場合は、「謝罪を申し上げます」はむしろ余計です。「これこれしかじかで、私が悪うございました、すみませんでした、申し訳ありませんでした」となるはずですから、不要です。

こちらの方が率直で好感が持てるかもしれませんが、たいていの謝罪会見は、電車で女子高生のスカートの中を携帯で盗撮して逮捕されたために、開かれるものではありません。役所や会社という組織の犯罪や不祥事、過失、怠慢、不作為などについて、当事者や直接の関係者ではなく、責任ある立場の人が代表として出てきて、謝罪するものです。

組織として謝罪するのですから、謝ることだけが目的ではないのです。謝罪することによって、法的責任をはじめ相応の不利益を甘受しますという決意を示し、たとえば賠償もしますという表明なのです。「ゴメンですめば警察はいらない」を肝に銘じた組織人として、男らしく凜々しく振る舞う場なのです。

それがいつの間にやら、おっさんが雁首そろえて、「すみませんでしたー」と一斉に頭を下げるようになりました。「謝ってるんですから、許してね」といわんばかり。もちろん、会社の代表として、「謝罪を申し上げる。以上」では済まないほど、重大な過失や損失を国民や顧客に与えてしまった。型どおりの謝罪では済まないという場合もあるでしょう。

もしかすると、この謝罪がTV謝罪の悪しき先例になったのかもしれません。だとすれば、皮肉なことです。なぜならば、この「古武士」然とした謝罪の一幕は、当時、少なからぬ国民に感動を呼び起こしたからです。

戦後を代表する大物財界人の一人だった岡崎嘉平太が全日空の社長だったとき、昭和41年(1966)に羽田沖墜落事故が起きました。岡崎嘉平太社長は、謝罪文を読み上げた後、遺族席の前に進み出て、老齢の身体を跪かせ土下座して詫びたのです。男が本当に謝罪するときは、土下座するか、切腹するか、いずれかしかなかったのです。幼稚な「すみませんでした」など入り込む余地はなかったわけです。


周恩来と会談する岡崎嘉平太(左)。戦前の上海を舞台に、汪兆銘の南京国民政府と蒋介石の中華民国当局、いずれも日本側交渉担当者だった岡崎は、戦後は日中国交回復に尽くした。

しかし、かくいう私も、過去に一度、この幼稚な謝罪をしたことがあります。ネットの掲示板上のことですが、私は失策を犯しました。そこで謝罪の書き込みをしたのですが、事実関係を要約して、「○○さんにお詫びを申し上げます。すみませんでした」と書きました。不要な「すみませんでした」を加えたのは、「潔さ」を印象づけるためには必要だと思ったからです。

つまり、これ以上、この問題に触れないでくれというものでした。過失に対する罪や罰を引き受けるのではなく、そこで断ち切るために「潔さ」というカードを切ったわけです。対手や場に対する謝罪という目的が転倒しています。それはやはり追いつめられたと怯え、自己を守ろうとするものです。大人の幼稚とは、怯懦からはじまるようです。あるいは、怯えた子どもの頃に戻りたいという機序かもしれません。

(敬称略)
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猿の惑星で餃子を食す

2013-07-11 11:54:00 | 食べ物
先日、宇都宮を訪ねた。静かな落ち着きのある街だった。地方都市は、たとえ県庁所在地であっても、たいてい静かな落ち着きを感じさせる都市が多い。つまりは寂れているのだ。栃木県の中心都市にも、映画館が一館しかなかった。

かつてはいちばんの繁華街だったはずの大アーケード街は閑散としてシャッターを閉ざしたままの店舗も少なくない。その一角に進出したビジネス専門学校の掲示板には、合格を喜ぶ笑顔が並んでいた。国家公務員一般職、地方公務員、消防署員、警察官、自衛官試験など合格者54人の顔写真が、出身高校名と一緒に貼り出されていた。

東京や大阪、名古屋なども、一部を残していずれそうなるだろう。日本の経済成長は70年代に終わり、徐々に衰退へ向かっている。それはしかたがないことだ。街が寂れていくと嘆くのも、静かで落ち着いた趣きがあるとするのも、どちらも間違いではなく、正しいわけでもない。老いにひとしい経年変化に過ぎない。

そんなことを考えながら、小雨の舗道を歩いた。小腹が減ったので、名物の宇都宮餃子を食べた。一人前9ヶ、2ヶづつ違った店の餃子が味わえる。残る1ヶは2ヶ分ある大ぶりなもの。ニラの香りが効いたの肉が多いの皮が厚いの薄いの、いろいろあって、わるくなかった。ほかにも、猿の惑星の居酒屋があるらしい。次は訪ねてみようと思っている。

Monkey Waiter

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