私は個々のアクティビティをワークと呼んでいます。最近はドラマワークという言い方をしています。
『ドラマセラピーのプロセス・技法・上演』(エムナー、北大路書房)では、テクニック(技法)という言葉を使っています。訳者の尾上明代さんにお伺いすると、第2部で紹介されている様々なテクニックは、あくまでも要素であり、栄養素みたいなもので、それ自体でセラピーとか教育とかいう観点をもつものではない。したがって、セラピーとしてはそれを実施するときの、あるいはさまざまなテクニックをつなげていくときのプロセスが重要になる・・・ということでした。テクニックにプロセスが加わることで、意味のある内容になっていくということでしょう。
これは、大変よく理解できます。私はテクニックということばをドラマワークに置き換えているわけですが、これを色に例えてみましょう。
ワークショップを実施するときに、進行役はどんな色を使うか選びます。これをどんな筆でどのように描くかは、同じ色を選んでも、そのつど違ってきます。そして実際の形を決めるのは参加者です。こうして、色、形、筆遣いの総体として、ひとつの作品ができあがる。筆遣い(プロセス)によって、セラピー的にもなれば、教育的にもなる・・・といったところでしょうか。
スキルという言葉は、単なるテクニックではなく、状況に応じてどういうプロセスを選択するかということを含んでいるように思います。教育としてのスキルとか、治療としてのスキル、演劇としてのスキルというように。例えば、バレーボールで、ある一点に正確にサーブを打ち込むのがテクニックだとすると、相手チームの動きを見ながらどこへ打ち込むかを見定めてそこへ正確に打ち込むのがスキルという感じでしょうか。ドラマの場合は、同じテクニックを使っても、目的や参加者に応じて言葉のかけ方が違ってくる。これはスキル。
コンベンションということばは分かりにくいのですが、伝統的手法ということでしょう。これまでいろいろな人に使われて、どういう効果や役割を発揮するか分かっている技法というようなことではないかと思います。演劇関係で使われている言葉のようです。この場合も、「教育では」「治療では」「演劇では」といったニュアンスを含んでいるように思います。同じテクニックでもドラマ教育のコンベンションとなる場合と、セラピーのコンベンションになる場合では、色合いが違って見えるのでは。この言葉については、今後の課題です。
メソッドという場合、その背景にある思想や理論を含むように思います。だから人が関与してくる。例えばスタニスラフスキー・システムはスタニスラフスキー・メソッドである。プレイバック・シアターもジョナサン・フォックスの確立したメソッドだとも言えるでしょう。
例えば、フォーラム・シアターという、ある場面をあるグループが演じて、それを見て、誰かの役割を変えたほうが良いと思う人がその役をとって変えて演じてみるという方法。これは、ボアールのメソッドということができます。ボアールは被抑圧者である民衆が自身と社会を変革していく手段として、フォーラム・シアターを編み出しました。けれど、ジョナサン・ニーランズはそれをコンベンションとして位置づけています。単に、ひとつのテクニックとして使う人もいるでしょう。フォーラム・シアターは、テクニック・コンベンション・メソッドのそれぞれの層を持っている。
日本語も難しいのですが、英語の素養の貧困な私には、カタカナ語がなかなかやっかいです。ドラマという言葉一つとっても、人によって描くイメージが様々。定義をきちんともって使いたいと思うし、他の人がどう考えているのか、意見を交換する場がほしいです。