ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

親子で思春期を考える―フォーラムシアター

2010-03-23 11:17:21 | 日記・エッセイ・コラム

Image067 Image072 私はボアールに直接あったこともなければ、本人および本人から直に学んだ誰かから、「被抑圧者の演劇」について学ぶ機会がありませんでした。フレイレの本を読み、ボアールの「被抑圧者の演劇」を読み、イメージを膨らませていただけでした。

ここにきて「きっとボアールの意図したのはこれだ!」と思えるものに出会えました。アートインAsibinaのフォーラムシアターです。形だけではなく、内容が。時代も国も違うところの手法を、形だけ真似ても仕方ないのです。これはみごとなフォーラムシアターでした。

今年(2010年)1月上旬、まず私は、課題提示となるショート・ドラマのストーリーづくりの話し合いに参加しました。西田豊子さんの軽妙な司会(と言うか、西田さんが半分は話していた)の中、俳優たちもふくめそれぞれが自分の思春期を思い起こし、話題提供。

その前後には、思春期の子をもつお母さんや先生たちとも会って、リサーチされていました。

次に私が参加したのは、2月下旬。連続公演の初日前日の練習。練習しては台本を書き換えるという中で、まだセリフが入っていない役者も居ますが、「なんとかなるでしょう」とまったく不安を感じず(私だけか?)。その日は、西田さん家に泊めてもらって、いざ初日。

ジョーカーだとか、ボアールだとか、子どもの権利条約だとかをちゃんと説明しながら、人間彫刻でテキストとサブテキストの違いを学びつつ、舞台に参加する方法を観客につかんでもらう。とても流れがうまくできています。

ショート・ドラマがまたよくできていて、どこにでもありそーなストーリーでありながら、「ちょっと変」といいたくなることが随所に盛り込まれている。佐藤家の夕食時。母親ゆみさんと中学1年生のきなちゃんが夕食。そこへ中2のだいちゃんが帰ってくる。あとで学校の先生じゅんこさんも登場。

さて、その初日。観客はおとなばかり。休憩を挟んで、2回目の上演が始まったのに、誰もストップをかけない。その様子をみて西田さんが「私ならね」とストップしてみせる。それをきっかけに次々意見が。お母さん役を代わって演じるお母さんも現れました。これには感激! 残念ながらショート・ドラマの半分ぐらいで時間切れ。だいちゃんと先生のところまで進みませんでした。

次は、3月の中日。公演もほぼ中ほどの回。観客には中学生もひとり。ショート・ドラマは進化をとげていました。「ちょっとリアリティがないな」と思っていた、学校の先生が突然家にやってくるシーンが、学校でのだいちゃんとのやりとりに変更されていました。この日は私はまったくの参加者気分。最初にドラマをストップ。しまいには、西田さんに引っ張り出されてお母さんの役をやってみたり。役をやって思ったのは、出てみるとうまくいかないということ。自分のうすっぺらさが丸出しになるのですが、まあ、これって仕方ない。人生そのもですね・・・ということを学びました。

そして、昨日。10回目の公演に参加。小学校高学年から青年たち、お母さんたちと、多彩な顔ぶれ。人間彫刻が進化していて、テキストとサブテキストの違いだけでなく、誰がどうしたら事態が変わるかを経験するものになっていました。

2回目のショート・ドラマ上演のとき、手が挙がりそうな場面で西田さんが「だれか手を挙げないかなあ」という眼で観客を見ています。『おっ!ここはわたしの出番か』と思っていると、あるお母さんがストップをかけてくれました。中学生も青年も次々に意見を出し、だいちゃんと先生のシーンでは、中学生がだいちゃんのダブル、大学生が先生のダブルとして登場しました。やはり、中学生の気持ちは中学生に語ってもらうに限ります。思春期の問題を大人だけで話す限界が見え、彼らの意見はとても参考になりました。

公演のたびに進化するフォーラムシアター。参加するたびに何かしら感動を受けます。しかも、何回も参加している私は、そのたびに深まるし、少しずつ先へ進んでいるので、余計にお得な気分。

それにしても、どの会場も参加者のみなさんの暖かさと積極性を感じました。

忘れてならないのは、西田さんが、突然知らないところへ飛び込んでやっているのではないということ。きっと親子劇場での長いつながりの中で厚い信頼を築いてこられたのでしょう。それがあるからこそ、参加者は「いったい何だろう」と思いつつ「きっと面白いに違いない」「きっと何か得るに違いない」と期待をもって参加してきているように思いました。

今、文部科学省は表現教育ということで、劇団と学校がタイアップできる助成金をつくっていますが、こういう形で演劇専門家が学校とタイアップできるとしたら本当に意義深い。しかしながら、教育のことを良く分かっている演劇専門家は少ないというのが実状です。まして、西田さんのようにジョーカーとしての資質を備えている人はそれほど多くはないでしょう。教育に関わっている私としては、どのようにすればこれがもっと教育に取り入れられるか。課題です。

フレイレが書いていますが、何が課題かをリサーチする。それを一番いい形で提示する。そして欠かせないのが対話。これらがおろそかだと深まらないのです。

さて、このシリーズは明日で一区切りです。横浜の急な坂スタジオで。

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