子どもたちと塗り絵
孫たちが学校からのプリントでますます学習意欲を失くしていくのを見るのは悲しい。
親が我が子をおちこぼれさせるまいと、「プリントはやった?」とうるさく言うので余計に苦行になっているようにも思う。
言うだけでなく、子どもの横にちょっと座ってあげると、子どももやる気になるのだけれど、親は親で余裕がない。
先生から届くプリントは、ワクワクと楽しくなるような工夫がほしい。
何より先生の直の声の届くような、先生の存在が感じられるものであってほしい。
孫や従姉妹たち4人のプリントを見ていると、学校からのプリントはほとんどが漢字や計算。
いやいややっている。
一方で、新しいことを説明を読んで自分でやることは難しいみたい。
なんでかしらね。
ようするに計算は機械的にやっているだけで、意味を分かってやっているわけではないということだろうか。
うちに来たときは、午前中にみんなで一緒に学ぶ時間を少しとっている。
算数の問題を考えたりするけれど、これはあまり好きではないみたい。
だれかが国語の教科書の読みたいところを読んで、みんなで分からなかったことや思ったことを話す。これは楽しいみたい。
そのあと、午前中はそれぞれのプリント。
Kちゃんは、わからないところを訊かないで、もらった答えを見て自分で答え合わせをしている。
「えらいなあ」と思っていたけれど、どこで間違ったかまったく考えないで答えを直しているだった。だからまた同じ間違いをする。
「訊いてね」というけれど、Kちゃんは訊かない。そういう性格なのね。
逆にSちゃんは、説明問題がまったくお手上げ。
問題の意味が分からないからしょっちゅう訊く。
横についていないと、まったく進まない。
ついてなくてもできるのは単純な計算問題、漢字、アルファベットを書くなど。
だから学校の先生は、そんなプリントばかりつくるのだろうか。
でも、それは違うと思う。
休校中に学ばなかければならないことって、なんだろう。
ご飯をつくったり、身の回りを片付けたり、生活の中で学ぶことが大事じゃないだろうか。
最近は、昼ごはんにかかったお金を小遣い帳に書くこともしている。
あいかわらず、お昼ご飯は、子どもたちと一緒につくる。
買い物は一緒に行けなくなったので、私か夫が代表で。
お昼ごはんが済むと、私と夫はちょっとゆっくりするのだけれど、
子どもたちは遊ぶ。
工作したり、ダンスしたり、町内を走ったり、好きなことをして遊びまくっている。
すぐに動き出すそのエネルギーに圧倒される。
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